カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.3.6 『見えない貧困』

 

                                                  カメキチの目

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 何かを見ていたら、何かは見えない。

 あることに気をとられていたら、注意していたら、ほかのことには気が向かない。

あたり前のことですね。でもふだんの生活はそれに追われていて、なかなかじっくり思うことではありません。

 

『見えない”貧困”』(2月12日のNHKスペシャルは、見ようとしない限り、見えないに違いない。

安倍首相や政権の面々には、貧困は見えているはずです。

見えていても「見えないフリをする」しかないのでしょう。

見えるのは日本国経済(大企業)とトランプの顔色だけ。一挙手一投足にビクビク…

 

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 もちろん、日本は自由主義社会なので、何を見ようがどこを向こうが「自由」。

 何に価値をおいても自由。

かの独裁国も戦前の日本も、自由はなかったので「見る」ものも「向く」向きも決められていた。現代でも森友学園のように、子どもを同じひとつの方向に向かわせようとしている。

その点で、北朝鮮も旧日本も森友も共通しています。

森友のけなげな園児たちが「ちゅうごく…ちょうせん…あべしゅしょうがんばれー」と叫んでいるのが、北朝鮮の国営テレビでアナウンサーが強い口調で「アメリカ…日本…」と言っているのに重なりました。

 

 しかし、自由の前には「平等」がなくてはならない。

 私のようにもともと怠けるのが好き、努力が嫌いというのも自由で、それを「自己責任」といわれることは甘んじて受けいれるけれど、

 成功に向かって精進、努力するチャンス・機会は子どもたちに同じように与えられなければならない。

その努力は、結果的にはウン悪く実らないことがあるかもしれませんが、自分で自分に納得できます。

 スタートラインに並ぶ平等がきちんと保証されなければならない。

 

 日本が「さすが(経済だけじゃなくて)先進国」「住みやすい国」と世界の国々から称賛される国になってほしい。

 子どもたちが、自分の将来を夢みられる社会であってほしい。

(個人的にはウン悪く、努力不足で夢やぶれても)再挑戦できる、最終的に安心できる世の中であってほしい。

 

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『見えない”貧困”』は、国民必見と思わせるほどすばらしい番組だった。

 

 私は争いごとはイヤなので戦争反対、現在の科学技術の段階では「最後の始末、処理」ができないので原発反対、安倍・トランプ反対…と言っているが、子どもの貧困をなくすことには誰も異論がないと思う。

ぜひとも、「NHKスペシャル 見えない貧困」をネット検索してみてください。

 

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 番組は、(自分のためではなく、家計を助けるために)アルバイトしている高校生がたいへん多い実態をとくに取り上げていた。

 彼らは表面上は多くの高校生とまったく変わらない生活を過ごしているように見え、何か問題がなければ、忙しさに追われ、面倒見のよい担任の先生さえ見つけられない

 いまはスマホは欠かせない。

 友だちづきあいという「普通の高校生」を演じるためにも、バイト先の連絡という実際の必要のためにも。

 

 そのことで、ツレと話したものだ。

「私たちが子どもだったころ、家に電話もなく貧乏だったけど、みんな似たりよったりだった。アルバイトしなくても何とかすんだ。しても、せいぜい新聞配達くらい」

「ウチの子たちの学校時代。ファミコンが出はじめたころだったが、与えなくてもすんだ。いまの子どもたちはそうはいかないようだ」

「時代は進んでも、暮らしやすくなったとは言えない…」

 

 

                   ちりとてちん

 

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