カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.5.14 認知症

                                                  カメキチの目

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 録っておいたNHK認知症キャンペーン番組をみた。

 2025年。あと10年も経たないうちに日本は、今のままいけば1900万人が認知症になるとのこと。

 なんと国民の9人に1人の割合。

年寄りの9人に1人ではありません。

 

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 「〇日午後△時ころ、××に78歳の高齢者の運転する車が突っ込こみました。…」

 数年前まではあまり聞くことのなかった高齢者の交通事故が目立つようになった。今は社会問題にまで「昇格」した。

 アクセルとブレーキを間違えないようにしたり、ほかにも安全対策せねば「より安全な車をつくっている他のメーカーに負ける」と気づき、やっと自動車各社もハード面からの取り組みに本気を出してきたようだが、こんな事態が起きるだろうとは、ソフト面の行政とともに予測できただろうに。

メーカー側→「自動運転」の技術開発にウツツを抜かすより、「安全運転」がだいじと思う技術者さんがいたと思います。

行政側→より安全性に優れている車を買えば税金が優遇される、安全な車の研究・開発を進めるための新たな制度を創設するなど、行政としてできる安全対策も工夫すればいっぱいあるはず。

警察や自動車教習所とも協力すればさまざまなアイデアが出てくると思うのですが。 

 他人ごとではない。

 私は障害を負い、運転免許証返上し、いまはもっぱら歩行者(それも杖ついたヨロヨロ)に徹している。

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 道路を渡るときは、幼児のように(さすがに恥ずかしいので指さしはしないが、心で)「右ヨーシ、左ヨーシ」と複数回の確認し、停まっている車の運転手が歳をとっているかどうか(こっちも立派な老人ですが)も確認する。

 歩道を歩いているときも、コンビニ・銀行・スーパー…の駐車場でも、絶えず目を光らす。

 

 故郷では弟も、伯母は80越すというのにドライバーしている。車がなくては生活しにくい。

「自動運転」の研究・開発も結構だが、安心して乗れる車がつくられ、安全な交通社会が到来してほしい。

 

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 他人を巻きこみ迷惑になることはあまりないので、ほとんどニュースにならない高齢者の徘徊。

 側溝にはまって「死亡」となればニュースになっても、大ケガくらいではそこまでいかない。行政でも正確な実態さえつかめていないが、行方不明者数はビックリするほど多いらしい。

 まだあまり問題にはなっていないが、高齢者がどんどん増え、いずれ救急車での運搬を含めて、救急医療体制自体が危うくなりそう。

 もちろん、介護の問題。

 介護の継続に絶望し、殺人を犯す。家族を「殺人者」に仕立てている真の犯人は誰か?

 …

 

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 人工知能・ロボット、バイオの未来も気になるし、今はアメリカや北朝鮮との関係も気が抜けない。

 そのうえ、地震津波、火山噴火、豪雨や台風など自然災害の心配。

 そして、個人的にはジワジワと進む老化、認知症になるおそれ。

 

 みんな、そのとき怖い目にあってみなければわからないのだろうけれど、「老化」の他はウンに左右されそう。どうなるかはわからない。

 老いだけは誰も避けて通れない。必ず遭遇する。

私はまだ「前期高齢者」だが、歳とともに一年はとてつもなく早く過ぎるから、「中期」「後期」もまたたく間にやってくる(いや、「中期」「後期」まで身体がもつかなぁ?)。

 ウンよく私はこれまでは「若年性」のそれは免れてきたが、これからは老化による認知症になる可能性が高まる。

 

 キャンペーン番組で終わりに言っていたように、ほんとうは、「認知症」になることを気にしなくてよい世の中、社会になるのがいちばんですね。

そういう世の中は、認知症だけではなく、弱い立場の個人が生きやすいにちがいない。

 

                  ちりとてちん

 

 

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