カメキチの目
監視社会、密告社会の到来を心配する「共謀罪」が成立した。
なんと「草木も黙るウシミツドキ」、おおかたの国民の熟睡中に国会が開かれた。
法律にもとづいて、なにも夜中に国会を始めたらいかんわけないのだろうが、こうでもしないと成立にはもってこれないことが与党にはわかっていた。
真夜中に始まった国会を通して、圧倒的な「数」の力によってていねいな審議・議論は打ち切り、自民・公明・維新が「共謀」して通した「共謀罪」。
成立過程に、この法律の正体があらわれている。
これで、昨年の安保法成立(遠慮なく日本は外国へいって戦争できるようになった。文句あるなら「安保法に言え」「強行採決に言え」)に続いて2番目のハードルを越えた。
あとは本丸、「憲法改正」。
東北大震災でも熊本でも消防、警察とともに大活躍した自衛隊員のみなさん。
現場、最前線にある消防・警察・自衛隊の方たちは、わが命もかえりみないくらいの崇高な、ヒューマニズム(と言って、流行らないのか、このごろめっきり聞くことが減った言葉)に満ちていて、頭がさがります。
自然災害救助が本来の目的なら自衛隊は「災害救助隊」とか、もっとカッコよく「災害レスキュー隊」と名乗ればいいけど、それは本来の業務ではない。
自衛隊は存在じたいが憲法に合っているか、つまり認められるかどうか(違憲かどうか)の問題で、つくられたとき、もめにもめた。
ちなみに、いまの若い方たちは、コンピュータゲームや携帯が生まれたときから在ったように、「自衛隊」も生まれたときからの身近な存在なので、それがどういうものか?必要なものなのか?と問うことさえ少ないでしょう。
でも、「そもそも」と…考えてみることも、ときには「必要」なのでは?(別に自衛隊に限ったことじゃないですが)
ちなみに、ネット検索するとウィキペディアでは「陸上自衛隊は1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊は海上保安庁を経て海上警備隊となり…」とあり、発足当初は陸上自衛隊は「警察予備隊」と呼ばれていたのです。共謀罪の被疑者が警察の手に負えないときは、自衛隊が出番となるんですかね。
自衛隊が正式な軍隊として外にも出ていってドンパチやってくれれば、これは民間市場の需給に左右されない確実な商売なので、ミサイルや戦闘機やヘリコプター、軍艦、戦車といった超大手の重工業は大喜びでしょう。
ところで軍需企業。なにも三菱や川崎重工業など名だたる大企業ばかりではありません。1台の自動車が製造されるためには多くの部品が必要であり、何百社といった中小企業のモノづくりの力が求められているように、1台の戦車の製造ににどれだけの材料・部品と手間、つまりカネがかかっているのだろう?
それに、さまざまな殺人武器・砲弾・火薬・地雷・戦闘服・軍靴・ヘルメット・手袋・ゴーグル・…
ただ、戦争を合法的に遂行するには、邪魔者は「邪魔者」(私を含めて、共謀はしなくても共謀罪に問われそう。だって、政府のやることによく文句いってます)。目ざわりなだけです。消せ! 捕えろ!
ともかく、①安保法→②共謀罪法→③仕上げ 憲法改正 と、シナリオはじゅうぶん整った。
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この法律がどれほど危険なものかを5月20日(土)夕方のTBS『報道特集』が報じていた。ふたつ、強く感じた。
① たとえば私がここ、「はてなブログ」できょうのような記事を書いていることを警察はつかみ(部署は、このごろのサスペンスドラマでよく出てくる「サイバー対策室」のような、ネットの書きこみを専門に調査するところかもしれません。みなさんがスターをつけたら同調者と想われるのでつけないほうが賢明です)、ブラックリストに載せる(ブラックリストといえば、私は若いころのことがあるのでとっくに記載ズミ)。「はてなIDカメ710」なる人物は危険思想を持っている。
もっとも警察はこんなヨボヨボ、杖つきを実際には相手にしてくれないと思いますが。
私はやっぱり刑事さんたちはサスペンスドラマに出てくるような「現場100回」を信条とする人情深い人だと思う。裏で政財界とつるむ警察上層部、官僚と対極にあって。
② そういうことも恐ろしいけれど、オカミに反抗的な私のような人物でなく、政治なんかまったく無関心であっても、GPSのついたスマホを持っているだけで、「ただ今、Aなる人物がB地点にいる」と国には筒抜けになることも恐ろしい。
テロや内乱を企んでいるわけじゃないので、筒抜けでもかまわん、とあなたは答えるだろうか。
監視社会の到来は不可避。監視カメラだってこんなに増えてきた。ごく一部でも悪いことを企むヤツがいるので、「ごく一部」とともにすべての国民が「管理」されるのはしかたない、とあなたは考えるのだろうか。
番組で、先日、最高裁でGPS操作は国民のプライバシー保護上問題あり、許されないとの決定が出たばかりなのに、政府(内閣)は司法を軽視していると、その事件を担当した若い女性弁護士さんが苦渋に満ちた顔で言っておられたのが心に迫った。
共謀罪のことはネット検索でたくさん出てきます。
ちなみに私も検索した。検索蘭の初めのほうに、小笠原 みどりさんというジャーナリストの次の記事がでてきた。わかりやすく書かれていたので、ここに載せます。
「平和のため」と言いながら、大半の憲法学者が違憲性を表明し、世論の反対が強かった集団的自衛権を合法化して、戦争参加への道を大きく開いた政権が、日本にも存在する。
この政権が、今国会で成立を目指しているのが「共謀罪」新設法案である。
共謀罪という概念にもまた、多くの刑事法研究者が反対している。「実行行為がなければ犯罪は成立しない」という歴史的に確立された刑法の大原則を、この法案がおかまいなしにひっくり返そうとしているからだ。
共謀罪は、二人以上の人間が犯罪行為について話し合った時点で、なんと犯罪が成立してしまう。
法務省刑事局長の国会答弁によれば、言葉とは限らず、目配せでも成立するというから、成立要件は限りなく捜査機関の「解釈」の問題になる。しかも犯罪と規定されるもの全般、676もの犯罪が対象になる!
(政府はこの対象項目の削減を国会での駆け引き材料にするらしいが、項目の拡大は後から簡単にできる)
「犯罪」の概念を密かに書き換え、犯罪行為に至るかもどうかもわからない時点で、むしろ実際には単なる会話に終わることが大半でも、人々を「犯罪者」に変えてしまう恐るべき強権性から、これまで国会で三度も廃案になってきた。
共謀罪の核心は、人々の日常のコミュニケーションが犯罪化される、という点にある。合意すること、相談すること、言葉に出すことで犯罪が成立するのだから、警察は私たちのコミュニケーションそのものを捜査対象とすることになる。
それが「テロ対策」というなら、人々が会話すること、集まって表現すること、発言することそのものが犯罪の温床なのだろうか? 話し合うこと=テロ? これぞ危険な「新語法」である。
だが、「戦争」を「平和」と呼ぶ政権が出してきた「オリンピック」と「テロ対策」の二枚看板の前に、世論はなんとなく懐柔されているか、口ごもっているようにみえる。
これは私たちが「二重思考」に侵されてきた兆候だろうか。あるいは、共謀罪がなにかを知らないし、知らなくてもいいと思っているからだろうか。自分には関係ないだろう、と。