カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2013.8.24 毒)

2013.8.24 毒

 M・Mさんという推理作家がいる。女性。かなり有名。現代ものから時代ものまでいろいろ書いており、それぞれ人間と社会への描写が深い(らしい)。

 妻はM・Mさんの当初からの大ファン。彼女の作品はほとんど読んでいる。新作が出るなり、大急ぎでパソコンに向かい図書館へ予約しているが、人気が高く、1年前後待たねばならないことも多く、けっきょく本屋さんに向かうはめになることもよくある。

「パンパカパー!ことしの芥川賞はAさん、直木賞はBさんに決定…」ヘッ!、競馬じゃあるまいに。私はへそ曲がりだから、そんな賞を受けたかどうかで読もうと思ったことはない。逆に人気があるらしいものほどヘッ!

 ところが…である。先日、たまたま売れっ子作家たちの短編集を読む機会があった。いまの若者たちの生態を知るのもいいな、くらいの軽い気持ちで読んだ。この中にM・Mさんのもあった。ス、スゴイ…。

 

 いまテレビでM・M原作『名もなき毒』という連続のサスペンスドラマをやっている。

 ウ~ン?、「毒」。私は「毒へび」「毒いちご」「毒殺」「毒味」などが思いつくくらいであるが、この言葉をキーワードにして、作者は現代の日本という社会をえぐり出す。もちろん、ドラマは具体的な物語として展開するが、それがだれにでもありそう、起こりそうなこと(事件)として、主人公を中心に周囲を取り囲む登場人物ひとりひとりの内面までていねいに描いてゆく。

 

「毒」について、思った。

それは単なる「悪」ではない。人間の生はほかの生物なみではないが、それでもだいじことはいっしょだろう。だいじなこととそうでないことの区別はそれほどむずかしいことではないと思う。なのに、複雑きまわりない(ようにみえる)社会がわたしたちをイライラさせており、そこに「毒」が生じるのかもしれない。「毒のある」ものいいをし、「悪意に満ちた」態度をとるうちはまだいいが、それはときには「悪」にまで成長するのかも(そしてピーポーピ—ポーとなるか)。

「毒」。ふだんの生活の中であまり意識することはなかったが、いまは違う(と、思っている)。

 自分の中にもひそんでいる「毒」。気づくのはイヤな気分だけど、毒のある自分を見つめることもだいじだね。

                   

                   ちりとてちん

 

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