kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2013.8.30 私的テレビ論)

                                                                  

                                                                                  

f:id:kame710:20130902164808g:plain   2013.8.30 私的テレビ論

  

 

 カッコつけて表現してみたが、テレビについて思うことを一言ふたこと。

  • 社会は、テレビ(ラジオを含めて)登場それ以前と以降に大きく二分されると思う(そんな意味でいまのインターネットというのも同様な気がする)。それだけ大きな社会的影響をもっている。
  • テレビの登場は大歓迎され、私も力道山の空手チョップに目をみはった。豊登(とよのぼり)がぶっちょい両腕をふるって腋の下にあて、「ポコッ、ポコッ」といい音を出しながら、相手をにらんで威嚇する闘志いっぱいの姿にも釘づけになった。いっぽう「一億総白痴化」と騒がれた。当時、私もコトの意味が理解される年ごろになっていたので本気で心配した。「日本人はみんなバカになるのじゃないか…」                
  • テレビは大きなひとつの文化に違いない。社会だけでなく、個人の人生にも影響を与える。それが立ち直りの力になったまでは思わないまでも、スランプのとき(私だってあります)、悲しくさびしいとき(これもある)、たまたまみていたテレビ画面が慰みになることがある。自分の内だけにとじこもっていてはダメ、こんな世界もあるよ!と未知の道をさし示してくれる。

  いいも悪いも、テレビは空気のようになっている。

 いいこと - 

 この前、NHKの『新日本紀行』で屋久島をやっていた。「永田岳」という高い山を地元の守り神として暮らすふもとの村の生活の一年を追ったドキュメンタリー。番組の最後、村人たちが、一年に一度、お参りするために山頂へ登るシーンがあった。途中一泊してやっとたどり着くという過酷なものだ。このなかで、無事に登頂し、「とてもしんどいときは幸せなんだ」とつぶやいた方の言葉がいつまでも心に残った。人生そのものが山。

 別なとき(こちらもNHKですが)、徳島放送局発『狸(タヌキ)な家族』という45分のドラマをみた。舞台はどこでもあるような山に囲まれた過疎の村である。過疎の一方には都会。そういう生まれ育った環境がいやおうなく人々の生き方を「支配」している。

 ドラマは、主人公が引き起こすトラブルが、家族、ひいては隣近所の人々を巻き込んでゆく話をおもしろ、おかしく描いていてとてもよかった。そのキーワードが「狸」なのである。この村では昔から住民のつながりを維持し、なごやかな関係を続けていくために、何かの問題・トラブル・いさかいが起きそうになったら、そういう厄介ごとはみんな狸のせいにするのだそうだ。

 人間はほんらい「善」であり、A作さんがB男さんをだまそうとしたのはきっと狸に取りつかれたに違いない、と考え、けっきょく許すのだ。

 こんな性善説。狸はおおいに迷惑し、「人間って勝手だなぁー!」と名誉棄損で神さまに訴えたくなるところであろう。が、これはこれですばらしい考え方だと、いまの私は思うようになった(かっての私なら、問題の根本にメスを入れないでお茶を濁すみたいなやり方、丸くおさめることだけに終始するのは許せなかった)。

 細かく言えばいろいろあろうが、正義(正しい道、正しい方法)はひとつだけではない。正義=真実とは限らない。サスペンスで「真実が明らかになってもだれも幸せにはなりませんゼ」と老獪な刑事がつぶやく場面があるが、考えさせる。

 

 わるいこと - も、書こうと思ったが、『狸(タヌキ)な家族』を思い、テレビだって狸にだまされ悪さもするわな、と続けて思い、書くのはやめることにした。

 

                   ちりとてちん