カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2013.10.13  障害をしたたかに生きる ‐歩行編‐)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目のかた)

 

 

 

 前にも書いたことがございます。そのことを覚えているお方は、「なんとしつこい(というか情けない)ヤツよ!」とお思いでしょ。が、どうかこのつまらん愚痴を聞いてやってくだせぇー。お願げぇしますだ。

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 歩く場所がせまいと私はよけいにフラフラする。歩道でもゴタゴタしたところは避け、なるべく広いところを選ぶ。車が走行しておらず、「安全」と思えば、車道のほうを歩く(こっちがよっぽど気持ちがいい)。

 近ごろは自転車が多い。それはいいが、歩道でも平気で走るのは困る。「自転車は車道」通行というきまりがなくても傍若無人、わがまま勝手な走りはゆるせない。ときにカチンとくるのがいる。そんなのに出あえば、こっちは「悪意」がわいてくる。たとえば、杖をつくエリアをわざと広げ、相手の通り道を狭めるというたくらみ(こういうのはまだ「イジワル」のはんちゅうで社会的に許されるだろう)が浮かび、実行にうつす。ところが、ひどく腹が立ったときは「リム(車輪を丸形に支えている傘の骨みたいなもの)に杖をつっこんだろーか」と不穏なことさえ想うこともある、しょうじき(だが、これを実行したらかくじつに犯罪になる。ので、こっちはやったことはない)。

 

 地面も安定したところがいい。少しでも傾斜があったり、凸凹があると、とたんに足センサーが反応し、超スローな歩行がより遅くなる。同時に、緊張する。

 フラフラは平衡感覚の障害が原因。そのことがよくわかる。が、これと平衡障害とは何のつながりがあるのかよくわからない。

 まだ入院していたころ、なんども「センセー、足が燃えているみたいに熱いんです」とうったえ、主治医を困らせていたが、彼は患者のこの感じ(センス)をわかろうとはしてくれなかった(これは「しゃく熱感」というのだそうだ。もちろん、いまも続いている)。

 その足の裏だが…。

「リラックスはリハビリにもなっている」と思って、日帰り温泉はあれからもずっと通い続けているが、そこの床には、お客がせっけん分ですべって転ばないよう、必要なところには安全のため、すべり止め(ボコボコと凹凸突起のあるアレ)が設けてある。が、私にとってはそれが“障害”だ(しかし、転倒防止のためなので自分も滑らないですんでいるのかと思えば、「そうよなぁー」)。

 ところが、とくに好きな露天風呂。和風庭園式でなかなかいいのだが、すべり防止でなく、風情の演出のため床に小石を敷きつめたところがある。そこを通らないと露天風呂につかれない。私は、ここでいつもいったん立ち止まり、体勢を整えて歩く。わずか2メートルぽっちなのだが、転倒したらたいへんだ。絶対、気は抜けない。その体勢というのは踊るみたいでヘンなので、目を引く。不審がられては困るから、私の見えない目でもあたりを見回し、人が見ていないことを確認してから通る。

 すべったり、凸凹が足裏に触れるとピリッとしたり痛い。ときどきはヒヤッとすることもある。が、そんな困難を排して湯につかっている。

 

 先日、日帰り温泉でこんなことがあった。

 私の動きはひどくノロい。次の動作の合い間にも一息をつく(ため息のようになる)。湯あたりしている客かと思われはしないかと、自分でも気にすることがあるほどだ。案のじょう、湯温をはかったり洗い場を整頓する若い女性スタッフの方に「だいじょうぶですか?」と声をかけられた。私はあわてて「イエイエ(片手を顔の前で手を振り、もう一方の手でアソコをタオルで隠し)、ダ、ダ、ダイジョウブです」と答えた。

 そのあと露天風呂に行くため階段をのぼったが、手すりにつきながら背後にだれか人がいる気配を感じた。さっきの方がさりげなく見守ってくださっていた。

 

 

                                ちりとてちん

 

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         ヒトの頭でいえば、まん中のかたまりが「頭」そのもので、

         ひとつひとつの開いた小花は「髪」なのでしょうか。

         ハゲのヒトも、頭頂部から抜け、下のほうは残っています。

         花といっしょですね。

 

 

 

 

 

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