カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2011.11.23 想定外)

 

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

「毎日正月」。のんきな隠居ぐらし。忙しく立ち働いている方々には「すみません」と別に悪いことをしたわけではないが、謝りたい気持ちになってしまう。

 そういう気持ちはいつもある。いつもあるが、かといって今の生活スタイルは続けたい。食っていけなくなれば「それはそのとき」。隠居をやめるつもりはまったくない(「すみません」の思いが足りないのかもしれない)。

 頭のリハビリのつもりでヒマな時間(というか、あいた時間)を、いまはブログを書くことにつとめたいと思っている(つとめたわりにはこの程度でゴメンなさい)。

 ともかくブログよりもっとマシなことが、本気になって探せば見つかるかもしれないが、(こっちは本気で学んだ仏教の一つ)「ご縁」に導かれてこうなったと信じている。で、いまはそれに身をまかせよう。

 きょうのテーマは「ソーテイガイ」。

 

 7年まえ障害者となったが、気がかりな残り仕事もあったので3年間は復帰(リハビリ勤務)した。そっちもケリがつき、一昨年の春、安心して退職した。

 元気だったら(障害者にならなかったなら)、まだバリバリ働いていたに違いない。定年(65歳)退職になったら、(ひにくにも今じゃ自分がその対象者になってしまったが)動きにくいお年寄りや障害者の移動を助ける移動タクシーのような「足」のボランティアをしたいと思っていた(これはほんとうの話。ウソだと思ったら妻に聞いてください)。

 街中で、自分より年上の方(たとえば、いまだったら寒風吹きすさぶ中、人や車を安全に行き来させるため旗を振るガードマン)の働いておられる姿を見たら、チクリとくる。チクリのままでは落ち着かないので、障害を「言いわけ」にし、自分を慰めている(ヒキョウなヤツ!)。

 

 私の物語では、主役はもちろん私。

 はじめに書かれた台本には障害者になりかけたできごとはけっこうあったが、まさかの坂道をのぼる(いや、くだる)ことになろうとは…(「想定外」の人生)。

 しかし、「想定」と「想定外」。

 考えてみれば、逆転の発想というか見方を真反対にしてみれば、「想定」どおりのものごとが「想定外」であったり、「想定外」が「想定」ともいえるのではないだろうか。二つをはっきり、白黒みたいに割り切って分けてはならないと思う。

(白黒思考を仏教では「分別」という。世間では「分別」をたいせつにするが、ホトケさまの教えはそうではない)。

 この前、いつもの露天風呂で浮いていた。目はうつらうつら半眼状態(半眼はホトケさまの目)。その目に映る流れゆく雲の形はおもしろい。いろんなふうに見えてくる。ときには、「地」である青い空が「形」となり、白い雲が背景に変わる。なんのことはない。どっちが「形」か「地」かは決まってはいないのだ。それは見る人が決めるのだ。

 この前、近くの駅で16歳の子がレールに飛び込み死んだ(自殺)と聞き、胸がつまった。ニュースにもならなかった。その子がかかえていた痛切な悩みとは何だったのだろう?

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 いちばんとかってに決めている映画の名作はチャップリンの『ライムライト』だが、その中に、舞台役者の主人公が人生に行きづまり沈んでいた若い踊り子に言葉をかけるシーンがある。何度みても胸を打たれる。 

 

                               ちりとてちん

 

 

   f:id:kame710:20131018100955j:plainパトカー電車。かっこうだけ“パトカー”の電車です。ほれ、レールもパンダグラフもちゃんとある。ちなみに子どもの大好きな“トーマス”・“日本昔話”(“ガンダム”もあった。が、最近は見かけない)、その時々の企画・イベントなどを宣伝したものもあり、ホント、楽しい。なかには、“「おとしよりをたいせつに」社会福祉協議会”なんてのもあり、じつにイイです(と書いても私はこの電車会社からお金をもらってはいません)。

 

 

   

 

  

     

 

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