カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.1.22 排泄)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

  

 

 

 じつは今もした。10~15分はこもっていただろうか。それも頻回(イヤになるくらい…)。

  あれから7年もたち、すっかり相棒(妻)は慣れた。

 遅きに失した感があるトイレの話。すごく身近なものなのに、これまで深くは書かなかった。別に聞かれもしないことを深く書かんでもいいが、新年そうそうネタ切れなので、おゆるしを(ただ、めでたい年の初めなので深くはふれません)。

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 どうしようもない。

 ときには下痢をし、汚すこともある。「ゴメン。汚れた(「汚した」と言うときもある)」。そう、すなおに認めるまでかなりの年月を必要とした。目が定まらず、かんじんの汚れが発見できない。発見しても、思うように手が動かず、気分も悪くなる。で、後始末を頼まざるをえない(いつもすんません)。

 彼女はすべてわかっているので、けっして私がトイレにはいっていても急かさない。急かすのは、外出を控えて、バスや電車の時間がせまっているとき。子どもが遊びに来ており、手であそこを押え足をバタバタさせているときくらいである。

 

 コトは排泄という、日常的なコトでもあり、気持ちよくありたい・過ごしたいと願ったが、この7年、あまり変化はない。

 10~15分かかろうが、家にいるぶんにはいい。が、外出先でしたくなり、(洋式トイレが)見つからないときはあせる(告白・カミングアウトというほど重々しいものじゃないが、まったくの自分のミスで、恥ずかしくて言えないこともあった)。

 

 これは頭の生理中枢・神経の働きの悪さによるものか?それとも胃の喪失によるものなのか?いや、それとも「どっちも」なのか…よくはわからない。でも、ガマンすればコトはすむ。膀胱や腸とはうまくつきあっているつもり。だから、いまは「原因」はどうでもいい。

 

 そうか!なるほど。

「排泄」のことを書いていたら、ものごとには「原因」までたどらなくてはならぬ(それがいい)場合もあるけれど、そんなことしなくていい(しないほうがいい)場合もあるのダな。

                                ちりとてちん

 

 

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        これは手袋です。指の部分はすっぽり出るように、

        先っぽは煙突状。

        なぜ指が出たほうがいいか?   

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