♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
『たとえ世界が終わろうとも 私は オレンジの木を 植えよう』
20~30年前、そのころ住んでいた借家のトイレに貼っていた。
たまたま新聞に載っていたイスラエルの古くからの言葉(この言葉の「オレンジ」が「梨」だったり言い回しが変わったり、いろいろな言い方がある)。これを知り、当時の私は顔面にフックかアッパーを浴びた思いがした。
それからも折々、この言葉をフッと思う。
思春期。私も悩んだ。「人間」とか「生き方」について、人並みに考え、そのため古今東西の名言・金言の載った本を何冊も読んだ。
読んでは「なるほどザ・ワールド」。でも2~3日たてば忘れた。
が、これは違った。
たしかに、人生の現実は『私がオレンジを植えようが植えまいが 世界は続く』。
そうだが、私はオレンジの木を植える。
それしかできないが、それができる。
どうやら生きるというのはそういうことらしい。そのことがやっと、私にもわかりかけてきた(気がする)。
『親孝行 したいときに親はなし』。『生きること わかりかけたら命なし』
ギョッ!
なんの花と思われますか?
やっぱり、そう思われるでしょ、ツツジかサツキの仲間。
こんな寒さの中で、これだけが花をつけていた。