カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.2.20 バランス)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

 ソチオリンピックで、選手が雪や氷のうえをみごとに跳びはねたり滑るのをみていたら、あらためて「バランス」というものを思った。

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                 上村愛子選手、長野から長い間、ほんとうに

                 お疲れさまでした。

 あらゆるものごとは「バランス」のうえに成り立っている。「バランス」とは、「世界の存在のしかたの基本」とでもいえようか。(ソチは私を哲学者にした)

 

 世界は何でもつり合いがとれている。右があれば左があり、上下がある。男と女・凸と凹・山(陸)と海・肉と野菜(果物)・食うと出す(排泄)・悲しみと喜び・死と生…。

 私の生きる信条である「ほどほど」「ぼちぼち」だって、考えれば「バランスよく」ということである。

 

 ところで。私の身体はバランス感覚に欠ける。

「バランス感覚に欠ける」という感覚は感覚の問題なので、想像してもらうほかないが、(あえて言葉でいえば)基本動作である身体を支えるためには、たえずバランスをとるということを意識している(でなければフラフラする)。そのうえで、たとえば歩行のときは『オイッチニー、オイッチニー』と(恥ずかしいのでぜったい声には出さないが)頭でくり返す。意識すると失敗しにくいのだ。

(先日、脳の機能・働きについて、最近の科学技術の急速な進歩で明らかになったことを伝えるテレビ番組をみた。わかりやすく編集されたいい番組だった。そこでもいわれていたが《ほかでも聞いたことがある》、脳の「可塑性」ということがすごく印象に残った。脳の「可塑性」とは、脳は変化する能力をもっていること)

 

 生き方の信条は「ほどほど」であっても、日常の起居動作はいちいちイメージし、真剣に行うことを目標にしている(つもり)。「ぼちぼちいこか」ではぜったいダメである。

 

 7年前、退院したときは、車イスだった。いまは歩いている。ありがたいことだ。「歩」の次は「走」。そう思い挑戦してみたが、うまくいかなかった。

 走れるにこしたことはないが、大地震や火事で逃げ遅れるのはしかたないとあきらめよう。「あきらめが肝心」ともいうではないか。速く走れてもダメなときはダメなのだ(ヘンな納得?)。ノーテンキもたいせつなのである。

 思考も「バランス」に配慮しなければならない。

 

 ソチの熱戦はあとわずか。選手のみなさん、大会スタッフ・大勢のボランティアさんありがとうございます。

                                                

 

 

                               ちりとてちん

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ソッチに降った雪も雪。

コッチに降った雪も雪。

 

同じなのに 違う。

人間もいっしょだ。

 オリンピックはいい。

 

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