カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014 3.30 あるドキュメンタリーをみて)

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

  

 録画しておいたNHKのドキュメンタリー番組をみた。

 

 35年前に起きた通り魔事件(「新宿西口バス放火」という)で大やけどを負ったある女性被害者を描いたものである。

 被害者は、たまたま、事故や事件に遭遇した。それがなかったら(起きなかったら)…の人生をどうしても想い、悔やんでしまう。

 番組は、そんな彼女の言葉(心の世界)をていねいに伝えていた(と私は思う)。

 画面を見つめながら私たちは幾度となく「フゥー」と息をついた。過酷で、重たい人生。ただ、想像するしかない。                                                                                          f:id:kame710:20140328165719p:plain

 後日、事件のことをもう少し詳しく知りたくてネットで調べたら、あたり前のことだが、いろいろなことがあったことがわかった。

 そうなのだ。ひとつひとつの人生は、その人だけもので、それは複雑なのだ。あらためて、「生きる」ということはたいへんなんだなぁーって思った。

 

 人生は多面だ。

  その人の人生を尊重するとは、比較しようもないさまざまな出来事が重なり合い、織り合わさり、その人の人生がつむぎ出されていると知り、感じることではあるまいか。

 

  ひとつのドキュメンタリーは、それがテレビのようなメディアの限界ともいえるが、あるところに焦点を絞らなければならない。絞ったうえで放送しなければならない。   

 またちがった面をみれば、ちがった「物語」が描かれるだろう。「ちがう」というよりか別のところに光が当てられるということか。そして、それが(今の)本人の気持ちをいちばん表していたことになるかもしれない。しかしそれは昔(過去)ではどうであったかわからない(未来においても)。「ちがう」とか「別」とはいっても、それ自体が「時間」とともにうつり変わっているのだ。

 

  人生は、さまざま。それぞれ、たいへんなことなんだ。

 

                               ちりとてちん

f:id:kame710:20140319105300j:plain馬酔木(アセビ




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