カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.5.4 恐竜③)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

  

 

 こんかいは恐竜「こぼれ話」です。

 

 私は博物館からもどり、「恐竜少年」になった(心だけ。いや、そうでもないか…)。 

 妻に見つからぬよう、そっとパソコンに打ち込んだ。「恐竜 フィギュア」と。

 出るわでるわ…。

 あとになって、「しまった―!あっちのにしておけばよかった…」と悔やむことのないようくわしく(制作会社まで)調べ、3体購入した。

(うちわけ➡トリケラトプス、ステゴザウルス、ティラノザウルス)

      下の絵は、男の子が大すきな、おなじみ合体戦士のおもちゃ。

      「ガブティラ」はたぶんティラノザウルス(ガブリ+ティラ)を模してい  

      るにちがいない。 おもちゃのしくみ(合体構造)は、「ガブティラ」に

      「ステゴッチ」というのと「ドリケラ」というのが組み込まれる。命名

       笑ってしまった。うまく考えたもんです。

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 安いのをねらったが、子どもだましのいい加減なのは論外。探しにさがし、そこそこのを見つけた。大人の厳しい視線にも耐え、胴体に触った感じも文句がない(気に入った)!

 しかし、おカネをかけてまで買うものか? そういう価値があるのか?

 ある!

 

 ところで、こういうのもオタクになるのかな?(そうなら、「恐竜オタク」と呼ばれてもいい。私は立派な恐竜オタクである)。

 そんでも、ただ、恐竜の魅力に取りつかれただけである(そんなことはダレにだってある。ダレかを好きになるように)。

 考えてみれば「何々オタク」。

「オタク」とは、「お宅」であり「個人」ということだ。だから、とうぜんダレもが「オタク」である。

 されど、「何々オタク」。

 そう呼べば、当の「個人」・「お宅」をたぶんに揶揄した言葉・表現になっている。ある趣向に強くとりつかれた人々を、まったくおもしろはんぶんに「オタク」と呼んでいる気がする(おもしろがってそういう言いかた、流行語を生み、広めたのはマスメディア?)。

 私の住んでいるところには2輌編成のおもしろい電車が走っている。車体がいろいろな絵で飾られているのだ。それをカメラにおさめようと、あちこちから通称「トリテツ(撮り鉄)」というオタクが集まる。彼らのほうにをチラリと目をやれば、ホントに嬉しそうに、真剣に写している。仲間で談笑していることもしばしば。いい!

「女子組」「山ガール」なんていうのもけっきょく、「オタク」でしょう。

「オタク」も「カラオケ」と同じく日本の新たな文化なのだ。

 

 アレッ。いつのまにかエラそうにオタク文化論をぶっていた(ゴメンなさい)。

 ところで恐竜フィギュア。ほんとうによくできています。

(先日、孫たちが遊びにきた。少し恥ずかしかったけど、彼らのビックリした顔を想像しニヤニヤ。だれかは「ほしい!」と言うのを期待していた。が、こともなげに「カワイイ!」と言い、だれも欲しいとは言わなかった。

あてが外れた。内心、欲しがればやろうと思っていたのに〈「欲しがって」欲しかった〉。くれてやり、私は欲しいのがもう2体あるので、それを買うつもりだったのに。

まあいいや。楽しみにとっておこー)

 

                                ちりとてちん

                

 

 

 

 

 

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