カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.7.10 8年目にあたり)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

         f:id:kame710:20140614164346j:plain

 

 8年前の今日、障害を負った。

「すべてはここから出発した」

 という思いはとても強いもの。

  だって、死んでいたかもね…なのダ!

 

それにしても、台風8号。心配です)

 

 仕事ちゅうに地面に落ち、そばの溝にはまっていた。あのとき見つけられていなかったら、確実に天国(いやいや地獄)にいっていたに違いない。

 発見してもらったのは女性の同僚だ。彼女は私の命の恩人である。

 いままでにそう言って何度も(尽くせない)感謝したが、きまってこんな言葉が返ってきた。「だれだって、そうしましたよ」

  そりゃあ、だれだってそうしたかもしれない。

 

 昼どきになっても(事務所に)いつまでも食べに帰ってこないし、たしか午前中から職場の敷地まわり、フェンス沿いの植え込みの剪定をしていたはずなのに…姿は見えない。

 で、彼女はあちこち探し、まさかこんなところにと思うようなところに転がっていた私を見つけてくれたのだった。

 

 好きな刑事ドラマのなかで発見される「凶器」に自分を重ねてみた。ドラマではテーマと関係がなければ、血のついたナイフを発見した捜査員がだれだったのかということは、どうでもいい話である。

 だが、私はナイフではない。その捜査員の方がだれであったということは、(断じて)どうでもよくない。

 だれだってそうしたかもしれないが、8年前のあの日あのとき、瀕死の私を見つけてくれたのは、「Kさん」だったのだ。

 

 隠居してまだ2年の私がわかったふうに言うのはなんだが、このごろほんとうに思うのだ。

 人生というのは、ジグソーパズルみたいなものではなかろうか。ややこしくて細かい小さないっぺんを「ああでもない、こうでもない」とやっている。やるにはせいぜい数秒かからない。長くても10秒。やること自体が、生きること。

 そのうち、運よくはまることがある。運よくいくときもあればいかないときもある。

  ジグソーのいっぺんいっぺんは、いろいろだ。果たしている価値というか役割に差はあろうが、どれも絶対に欠かせない。

(ときどき、まったく特徴のかけらもないジグソーがある。まったく特徴のかけらもないのが特徴なのである)

 

 見つけてくれたのは、AさんやBさんだったかもしれないが、Kさんだったのだ。

 ー ありがとう ー

 

                             f:id:kame710:20140704140356p:plain

                            ちりとてちん

 

 

  リンク    ↓ よかったらクリックしてくださいね

        https://www.youtube.com/channel/UCqrY2vkoe7sbDdGbbVwLUYA

 

                   

<