カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.8.21 こうしてまた人が殺された)

 

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

  

                       

 ずっと昔のこと。

 勤労学生(いちおう社会福祉を学んでいた)だったころ、はじめて「行路」(コウロ)という言葉に出あった。

「行路」。知ってますか?

 それ自体は、旅など、道を行くことである。が、社会福祉事業法の授業で出てきたのは、旅の途中などで行き倒れになったこと。

「行き倒れ」。知ってますか?

 力つきて…というイメージがついて回る。しか今の世に、力がつきて倒れてしまうことなどあるのだろうか。

 

 時代めいた言葉なので日常つかうことはほとんどないが、このあいだ、私はまさに、自分がゆきだおれになりそうな経験をした。

 炎天下、歩いて200か300メートルしかない役所に行ったときのことだった。そのときは気分がとても悪く(なんでか、障害者になってこういうことがあるんです)、フラフラだった

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 ジョーダンではなく(真剣に)、「行路」「行き倒れ」という言葉が浮かんだ。

 体調はまったく問題ないので、とくに心配しない。いずれ落ち着く(気分の悪いのは一時的)のがわかるので、冷や汗かきながらがんばった。あと数歩すすめば目的地に着く。

 

 自分の「行路」「行き倒れ」の話はそれだけだが、世間ではまた、17歳という若さで人生行路を強制的に断ち切られ、行き倒れ(殺され)になった事件が起きた。

 じつに悲しい。モーレツに腹が立つ!

 立腹しているときは自分が正義の権化、閻魔大王みたいになり、悪への怒りで気がつかないが、しばらく後に、(親鸞がいうように)悪は他人ごとではないことに思いがいたる。

 が、それにしても…である。

 17歳の女の子はなんで自分の母親くらいの女に殺されたのか?その女は何を思い考え生きていたのか?息子らしき少年はそのとき何をどうしていたのか?

 何人ものまわりの人が被害少女の虐待を知っていた。関わりを持ちたくないと知らんぷりした人もいるらしいが、警察や行政など関係機関に通報した者もいたという。が、通報を受けても何もしなかった。「何もしなかったわけではない」と言いわけの自己保身・弁明に終始しているが、17歳の女の子は殺された。

 やり切れないな…

 

                                ちりとてちん

 

 

                               

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