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kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.10.5 子ども)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

                       

 

 

 コトはみようとしなければ、みえないものだ。面倒くさいが、あるていど考えないといけない。

 

 いま、子どもの貧困率「16.8㌫」をみてみよう。

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 目の前の子どものうち、6人にひとりが腹をすかせていることなる、とテレビは伝えていた。これはたいへんなことである、とテレビは訴えていた。

 

 その【子ども】

 私は障害者になって身体が思うように動かないので、仕事はやめ、早くから隠居の身になったが、そのおかげで、思うように本が読める。その本だが、自分でもいい本にめぐまれていると思っている。

 で、いろいろと読んだ。自分の読書が偏向しているとは思わないが、ほとんどすべてが子どもを擁護し、可能性を信じ、必要とあらば尊敬しさえしている。そして、子どもを大人の延長線上においてはいけないと述べられていた。子どもは大人とは違った存在なのだと。

 つまりはこうだ。

 よく子どもは「可能性のかたまり」といわれるが、いろいろな方向に伸びたり、伸びなかったりする。だから大人は(死の可能性しかない)なるべく子どもにいろいろな体験をさせ、さまざまな能力開花のチャンスを与えなければならない。開花するかどうかはまったくわからないが、ゼニカネの有無によってチャンスの有無が左右されるのはあってはならない。そういう差は本来あってはならないのだ。

 それに、子どもは「小さな大人」ではない。「子どもの世界」ということもよくいわれるが、自分自身の体験からも、単に子ども時代はなつかしいだけのものじゃなく、そこは完全に独立している(いた)、それだけで自立したひとつの世界がつくられていることに気がつく。いまのモノサシで、昔、子どもだったときのことを計ってはいけない。

 子どもは、独自の存在なのだ。

 

食うことは生きること。 あらゆる意味において、そうである」

 その彼らが、可能性へのチャレンジ・挑戦どころか、家族・親の貧困で満足に食えていないという。

 

 子どもは確実な「未来」そのもの。

 だから子どもの絶対数が異常に減っている日本は発展するわけはない。なのにA首相は「女性登用」「地方の創出」とか言っている。彼の頭はどうなっているのか。かち割ってみたい(こっちの方が狂っているのか?)。

 ごくごく少数のエリートさえいればあとのほとんどは貧しくてもいいというのは、人の考え方としてどうだろ?

「16.8」は気にならないか?

 

                               ちりとてちん