カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.1.18 山の時間①)

 

   おたずねくださり、ありがとうございます 

  

   

                

 

 信者うちで「ごしんじょう」と呼んでいる、毛糸の編み棒みたいな棒がある。私はそれをもっている。

 信者ではないが、6年前、もつことになった。

 なおるわけないと医者に言われても、「ヘイ、そうですかい」とはいくもんか。なんとしてでも障害をなおしたかった。「なおるなら…」と、民間療法をした。だが、通うのもたいへん、施療費もいるので3,4回でやめた。しかし、施療法は簡単なので自分でもできるとわかり、たいへん高価だったが買った。

 治療法は「気」の流れ、つまり中国の陰陽思想にもとずき、身体の悪い気を払い、いい気を取りこむというものである。具体的には棒で頭のてっぺんから足先までなでる。

 

 信心がたりないのか。私の場合、効果はあらわれていない。「ホンマかいな?」と疑いたくなるけど、ここはガマンのしどころと、当てのない「そのうちいつか」を待っている。ともかく、疑えば信心を否定することになるのだ。

 その「ごしんじょう」は私たち購入者に手わたされる前に、主催者(ある一派の修験道みたい)の手で近畿でいちばん高く、歴史的にも由緒ある「熊野古道」の大峰山系で祈りをささげられる。つまり、禊(ミソギ)をうけるわけである。

 

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 前置きが長くなってすみません。じつはこのあいだ、ここ大峰山系のふもとにある(じっさいはもっと西南)十津川村に行ってきた。

 別ルートもあるが、ちょうど日本一長い路線バス(終点は新宮)で行けばその運賃をタダにしてくれる企画を見つけ、村営ホテルまで行くことにしたのだ。

「百聞は一見にしかず」と言われるが、ともかくすごかった。広大な紀伊山地のいっかくにふれたにすぎないが、古代からの、また現代になりとても少なくなっても、誇りをもって生きている村人の息吹を感じた。そこには人の生活があった(考えれば、古代は、現代とはちがい人口はひじょうに少なく、都会も田舎もなかった)。

 十津川温泉はすばらしかった。湯は肌にまとわりついた。湯ぶねにつかり、散策で見つけた「小辺路(コへジ)」と書いてあった標識に本宮を詣でた老若・善男善女の胸のうちを想った。

 

 こういう静寂さに身をひたせば、いろいろなことが思われる。よく生きようとすればこういう時間は必要だと思う。

 

                                ちりとてちん 

 

21 おおかみ    

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ウワオー!

おー。こわいこわい ブルブル… 

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