カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.3.2 荷物になった話)

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   おたずねくださり、ありがとうございます 

  

   

 

  母の「四十九日」をすませた。最期の最期までたいへんな世話をしてくれた弟には感謝の言葉がない。

 弟を支え続けてくれた妻にも感謝の言葉がない。

 

 そのぶん、私は自分をただ情けなく思い、落ち込むだけである(ただし自己憐憫はしないぞ)。「落ち込む」べきなのだが、そうする余裕はなく、外界への反応・対応が精いっぱいであった。

 フラフラ気分。なにもせず、なんの役にもたたない。せめて、哀悼の意を表してくれる親しい親族(私のところはすごい田舎だが、法事は簡素に行い、近所の人たちは招かなかった)に心こめ、挨拶する。少しの人数だが、それだけで、ひどく疲れた。

 落ち込んではいられなかった。

 落ち込むヒマなく、コトは終わった。はじめに書いたとおり、なにもかも弟と妻のお蔭であり、私なんぞお荷物なのだったが、(じっさい「お荷物」になってしまった)お荷物にも存在価値はちゃんとある。

(で、じっさい、どんなお荷物になったのでしょうか?)

 

 墓所は山の急斜面にある。往き(上り)は妻が支えてくれてヨイヨイだったが、問題は帰り(下り)である。

 小雪もちらついた骨入れであった。ひどい寒さでブルブル…。「完全にこける」と思った。こんな崖のようなところから転落すれば大ケガか、悪くすれば死。妻を巻き添えになんか絶対するもんか、骨入れでこんなことになればブラックユーモアである。

 非常に情けなく、プライドまで壊れかけたが、ガマンして荷物になった。弟におぶわれた。

 

 次の法要は1年後だ。そのあとは3年。7年、13年…。じょじょに(母の不在に)慣れ、あきらめをつけてゆく。仏教の儀式はよくできているものだ。

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 先日、弟に電話したら「(ひとりになって)なんか心もとないなあ」と言っていた。

           

 オフクロ、この世に生み 育ててくれ 

 ほんとうにありがとう             

                      合掌

 

                   ちりとてちん

 

29 ゾウさん

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ゾウさん。といえば

気はやさしくて力もち。

いまは古くなった言葉ですが、ヒトもこうありたいですね。

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