カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016・3.19 43年ぶり

 

                                                  カメキチの目

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 あれから43年。

 よくもった。

 いや、まだ「熟年離婚」というのもあるから、油断してはいけない。

私は年齢的には「熟年」ではありますが、「じゅくした」という感じはしていません。まだまだまだ人間として「未成熟」なので、気を引きしめなければならない。

いつ、「あのときの気のゆるみがいけなかった…」と後悔するハメになるやら…

 先日、結婚して3か月目に旅したところを訪ねた。

 そんな大昔のことだから、これまで、私たちの話題にはそれなりにのぼってきていた。死ぬまでには再訪したかった。

 

「そうだった、そうだった!」

 そのときの思い出で私たちがいつも一致するのは、泊まった宿で出された食べきれないほどの魚料理のこと。

  そこは湾に面した岬。

 43年前。電話で予約もせず訪ねた小高い山の上の宿は満杯で断られた。

「しかたなく坂道をトボトボくだったね」とサイ(妻)は覚えているのだが、私はまったく覚えていない。

肩を落として歩いているとき、ひょっとしたら言われていたかもしれません。「ちっとも頼りにならんわ」

そう言われ、離婚にいたっていたかもしれない(言われなくてよかったですね)。

そうならなかったのは、彼女の「私はこんな男を選んでしまったのか。見抜けなかったのか」という人生の大問題を後悔したくなかったせいだったか、と今は思われます。

 野宿とはいかない。それは真冬の一月のことだった。私は男。自分だけならまだしも…それからどうしたかも私は覚えていない。

 だが、そのあたり、宿はほんの数えるほどだったと思う。

 幸い、ある民宿に泊まれることになった。当然、とび上がるほど嬉しかったはずなのに、それも思い出せない。

 思い出されることはただ一つ。旅全体を通じて、この民宿で出された、若くてピチピチした当時の私たちと同じくらい新鮮な魚介類だけ。

 食べきれないほどの海の料理。ともかく、スゴかった。

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こんどの旅を終えての私たちの会話。

「あのころ。刺身など食べることはめったになかったし、食べても少しだったから、豪勢に思えたのかな」「ウンウン」

 その印象があまりに強すぎて、他のことが思い出せないのだろう。

 

 歳とって感じる確かなこと。

 ①ほかの人には何でもないような小さなことでも、スゴい!と喜べるときには悲しむことは幸せだということ。

 それから、こうして書いていて思ったことですがの流れというのは、じつにいいということ。

 時間がたって、“死”に近づく。

 死ぬきっかけや人生の長短は人によりさまざまあるけれど、みんな“自然”に溶けてゆく。還ってゆく。

 

                  ちりとてちん

 

 

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