カメキチの目
「アート」とは、ネットで検索すると「アート引っ越しセンター」がいちばんに出てきたが、あとの「ウィキペディア」で調べると、原義は「間接的に社会に 影響を与えるもの」とあった。
私は長く古くさい中学校英語の影響下にあったので、単純に「 芸術」や「 美術」と解釈していた。
あちこちでよく言われる「アート」がそういう原義とは知らず、「わざわざ、『アート』といかにもナウそうな表現を使って…。チェッ!いかにも時代の先端を走っているかのようなフリして…。わかりやすく『芸術』と言えばいいものを…」と毒づいていたが、そうだったのか。
先の連休に、絵画、彫刻、陶芸、ガラス細工、音楽、シャボン玉…など芸術・美術にたずさわる人たちが多く居住しておられる地域の、活動(作業)場を兼ねたご自宅を開放され、一般市民の方に気楽に触れあってほしいというアート祭り(お神輿は出ません)に行った。
感想ひと言→すばらしかった。
その中に、こういうのがあった。何だと思われますか?
背景に大きな樹がありわかりにくいですが(ヘタな撮影ですみません)、車の屋根にこんもり、杉の枝が葉つきのまま、組まれています(スギ花粉症の人は見るだけでたまらんですね)。その中は空間で、入れます。(まさに)入ろうとしているのが娘婿ドノで、このあと胡坐をかいてほほ笑むのですが、それはさておき…
こういう作品は芸術の分野で何というのに属するのか、門外漢の私は知らないが、見かけはただのオッサンのように見えた芸術家の作者がそばにおられて作品の意図を説明してくださった。
おおすじ「われわれ人間はいかに小さいかを、このスギ玉を地球にみたて、その地球から宇宙をながめた体験をイメージした(文責はすべてこのブログ作者にあります。撮影に気を取られ、よく聞いていたわけではないので間違っているかも?)」とのこと。
作家の開放された家でステキな絵画などみてきた目は肥えていたので、このヘタなスギ玉のような作品は(どっちかというと)ちょっとみすぼらしくさえあったので、よけいに作者の自然賛美、壮大な理念に私はおそれいった。
まさしく、これはアートだと思った。