カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.6.15  北海道の旅④


2016年5月25日~27日釧路湿原

 

 釧路湿原。三度も出かけた。

「えっ、三度も!」

 時間が許せば何度でも行きたい。

 

 列車が着いたとき、濃霧のなかに釧路が佇んでいた。

「風情があるなぁ」と初めての釧路にひたった。釧路駅前からバスに乗り、さっそく湿原をめざす。

 バスの発車に時間があるので、テレビの旅番組でおなじみの「和商市場」が駅からすぐなので歩いて行った。が、ここは「なるほど…」で終わった。

 釧路の街は思ったより大きく、碁盤の目のように整備されている。のちにバスで湿原に向かうとき、「鳥取大通り」というところがあり、これは鳥取県からの入植者が多かったのかなと思った。

 

 あこがれの釧路湿原へ行く(一度目)。

 駅前のバス発着所には、車体いっぱいにデザインされたタンチョウが描かれている車両が出入りしていた。

(タンチョウではなかったが)カモメが鳩なみに警戒心がなく、写真のいいモデルになってくれた。

 バスが来た。

 街がだんだん郊外になるにつれて建物が少なくなった。ということは、それだけ見とおしがきくはずだ。が、きかない。縦横に交差した通りは50mくらい先が霧に煙って視界が悪く、ライトを点けなければならない。

 そして「だんだん郊外…」は、右も左も見わたすかぎりの原野になった。正確にはその景色を「原野」と表現していいかどうかわかりません。

 北海道は広いので車はビュンビュン走ると聞いたことがあるけれど、私たちの路線バスもビュンビュン走った。

 

 初めに行ったのは湿原の西のほう「釧路市展望台」。

 濃霧。展望はムリに決まっていたので、おカネのいる展望場には行かず、木道が整備されている森(林)を歩く。林床には「オオバナノエンレイソウ」という白い花があちこちに咲いていた。

 木道の途中には、そこから湿原の絶景が望めるというビューポイントがあったが霧の絶景もまた、晴れていたらこうだろうな、という想像を楽しめてよかった。ちなみに、霧の釧路湿原だったからこそ、あとからまた行ったのです。(慎重なツレは、雨が降った場合はB案にする。が、そのときのほかの条件とか雰囲気とかを総合的に考慮して、最終的に決めるというのです。私だったら、《B案とか、考えるのが面倒くさいので本来のA案しか用意しない》どっちにしようかと迷ったときは、投げた履物の裏表で占い、決めます)

これはオマケの話ですが、車が「釧路市展望台」に近づいたらブブブウーと唸ってくるのです。自動車の運転をしない人がこの音を聞いたらビックリするに違いありませんが、私はかつて乗っていたのですぐピンときました。道路はここら辺りがいちばん高くなっており(峠のように)運転の注意を促すため、道路に小さい凸凹が施してあるのです。タイヤの接地面が車を唸らせていたのでした。

 

 二度目は翌日。

 こんどは湿原の東側を鉄道、釧網線で行く。例の季節運行の「ノロッコ号」の通るところだ。

 途中駅、塘路(トウロ)湖で下車した。

塘路(トウロ)」湖。私はこの名前。響きからして、ゾクっときていた。

 塘路まで、たいした時間はかからないが、釧路市街を抜けるとほどなく原野となり、そのうち湿地に沼や池が見えかくれする。

 人は、あこがれというか、求めるものがあると愛だってそうですね。違う。

 私たちは目を皿のようにして窓に貼りついていた。

 が、いっしょに乗り合わせていた中国(?)からの観光客一行のみなさんはツァーの強硬日程のお疲れからか、居眠りされている方が多かった。

「もったいない…」

それを言うなら、わざわざ日本なんかに来なくても、広い広い中国はみるところ、いっぱいあるでしょうに。と思うのはこっちが日本に住んでいるからかな。 

 

 三度目はその翌日。

 霧の「釧路市展望台」をリベンジしたい。その気もちがないと言えばウソになる。けれど、あまりに空が青く抜けていたので、また訪ねないと釧路湿原に悪いような気がした。

 きょうは、おとといの「釧路市展望台」のちょっと先まで行った。

 あたりの林から、寒いところしかいないエゾハルゼミのなつかしい鳴き声が聞こえてきて、嬉しくなった。

 きのうの塘路では、湖畔のネイチャーセンターみたいな施設で詳しく釧路湿原のことを知ったが、先人のなみなみならぬ自然保護の努力があって、この景色があるのだ。

 そういうことを感慨深く思った。

 

 

                  ちりとてちん

<