カメキチの目
最後は阿寒湖。アイヌコタン。
釧路から湿原を東に、北方向(内陸)にバスで国道(通称「まりも街道」)を走る。
広いひろい大地は、そのうち山間に入り、しばらく林や森をぬい、しばらくして阿寒湖温泉に着いた。
阿寒湖温泉は小さな街だ。森と山、湖に囲まれた温泉街。そして、アイヌコタン。
ここだけではないが、北海道は先住のアイヌの人びとの土地である。
今、海部陽介さんという学者の『人類がたどってきた道』という本を読んでいます。
ずっと昔。子どものころは人類の祖先はゴリラ(チンパンジー)に近い猿人、北京原人・ジャワ原人などの原人、ネアンデルタール人のような旧人、それにクロマニヨン人みたいな現代人と、わかるようでわからない話を聞きました。
(よくわかり、うなづいたのは、「サルから進化したんだぞー、人間は。その証拠にケツの先を押さえてみぃ。ホレ、そこからシッポがはえていたんだぞ、小さい子のケツや背中を見てみぃ。あちこちに青アザみたいなんがあるだろう、アレは「モウコハン」といって、自分らは白人や黒人と違うんだぞう」、と学校の外で誰かからか聞いた話でした)
人類の祖先はそれぞれの地域で独自に進化したという多地域進化説が、先ごろまでいわれてきたようですが、最近(20世紀の終わりころから考古学史上の重大な遺跡発掘や遺伝人類学などの急激な進歩があり)、人類はすべてアフリカのホモ・サピエンスからはじまった、アフリカのホモ・サピエンスを祖先とする説が有力視されるようになってきたそうです。
現代の人類。肌の色も違い、身体(顔を含めて)の特徴がいろいろあっても、それはアフリカを出た後の行き着き先の自然条件・状況の差が超長期の間に形作ったものであって、DNA的、遺伝子的にはみんないっしょであるとのこと。つまり、現代に生きる人間として、欧米に暮らす人々もアフリカのマサイの人々も日本人も南米アマゾン奥地の名もなき集団の人々も、人間・人類としての基本的能力(読み書きソロバン、新しい技術を受けいれる能力等)になんら優劣はない、ということです。
そういえばテレビのバラエティーか何かで、現代文明とはほど遠い生活をしている人々が器用にスマホを操っているのをみて、私は完全に越された、負けたと思いました。
学校で学んだ大昔。付けたりのように人類の先史時代、日本の場合はちょこっと縄文を教わりましたが、アイヌの人たちのこと、琉球列島の人たちことを学んだのだろうか。
今は観光に組み込まれてしまった感が強いけれど、「観光」を通してでも、アイヌの人々の文化を感じたかった。
コタンは、アイヌの言葉で「宅地」をさし、人々の生活拠点、小さな村みたいなもので、なかでも阿寒アイヌコタンは有名らしい。詳しくはHP㌻をご覧になってください。
阿寒アイヌコタンには立派な劇場があり、そこで語りや音楽・舞踊などを通してアイヌ民族の魂に触れることができる。
一日に何回かの公演があるのだが、私たちが訪ねたときは、朝のは間に合わず、ちょうど昼間にコタンの人たちの会合があるということで、夜しかなかった。夜も開演が九時と遅く、しかも雨もきつく降っていたが、宿の傘を借りて出かけた。
竹で作られたやさしい音色の「ムックリ」、リズムに合わせ体や頭を揺らすだけの素朴な踊りに完全に魅せられた。
アイヌの人びとの魂がこっちに乗り移ったかのよう。
公演の最後に、「どうぞお客さんのみなさんもごいっしょに」との誘いがあった。
私にも踊れそうだった。で、踊りたかったが、杖でのヨロヨロ参加はほかの観客のみなさんの迷惑になるのでやめた。
帰り。まだやまない雨は少し冷たかったが、心は熱かった。
昼ここに来たとき、劇場のすぐ隣の民芸店でムックリに目がとまり、買いました。ほかにお客さんがなかったこともあるのでしょうが、アイヌの方と思しき店のオバサンが懇切ていねいに、音の出し方(演奏のし方)を手取り足取り教えてくださったことも忘れがたい思い出になりました。ありがとうございました。