カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.7.12  きょうという日が…

 

 

                                                  カメキチの目

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 そのドラマの初め。

 主人公(女性)が苦境に立ったとき、上司が言った。

「“きょう”という日が、(あなたの)残りの人生の初めての日だと思おう」

セリフなので、言葉が違っていたかもしれません。ゴメンなさい。

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  ドラマの終わり。

 かつての上司が人生に落胆し、自殺しようとしたとき、彼女が言った。

「“きょう”という日が、(あなたの)残りの人生の初めての日だと思いましょう」

 同じような意味の言葉はほかにもありますが、この言い回しは胸に響き、忘れられません。たぶん、これからも忘れないだろう。

 

 あのとき、身体障害者になりはしたが死なずにすんだ。それは「再生」であり、自分は「サバイバー」なのだ、ちょっとカッコイイ!と慰めた。

 死んだとすれば、すでに10年。

 余分に生きたか。

 

「残り」から人生をみる。

 これまで“終わり”の方から、逆方向から人生をみた、考えたことはなかった。

「人生下り坂サイコー」と言ってみたり、禅的な無の境地を想ってみたりし、それはそれで私にはすばらしいことなのだが。

 同じく、“今”という時間と“ここ”をだいじにするといっても、アプローチ・接近のしかたが違う。

 まだ終わってはいないからこそ「残り」がある。その残された時間を初めての日だと思って過ごす。

 

 同じころ、他のドラマにはこんなセリフがあった。

言っておきますがテレビ漬けの生活ではありません。

数すくない好きなドラマの中にはときおりキラリと光る言葉があります。

「命にウソをつくな!」

このドラマは防げた医療事故、悪徳医師のウソ・ゴマカシを摘発する主人公の言葉で、医療の現場で働く人々は「命にきちんと向き合え」というのですが、「命」というのは患者さんの人生でもあります。

 

こちらドキュメンタリー。難病・筋ジストロフィーの岩崎航(わたる)さんのことを知りました。五行の歌(詩)に全霊を注いでおられます。

お母さんたち他人の介護を受けなければ生存さえできない不自由な身体で創作される姿に圧倒されないではいられませんでした(なんと、この方のお兄さんも筋ジスなのです。お兄さんは入院中)。

 

                   ちりとてちん

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