カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.9.6   むのたけじさん

 

 

 

                                                  カメキチの目

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 8月は、原爆の日敗戦記念日とあり、それにことしはリオデジャネイロオリンピックとあったから、戦争や世界というものを思うことが多かった。

 そうしたら8月21日に、むのたけじさんが亡くなられた。

 

 101歳だった。いまは「エッ?むのたけじ…」の方がほとんどだろう。

私ももう「故人」と思っていました。むのさん、勝手に死なせてゴメンなさい。

 私には尊敬する方だった。

 戦後、戦争高揚に記者として加担した始末を自分でつけたく、勤め先の朝日新聞社をやめた。

 3年後、故郷の秋田県横手市にもどり、その小さな地域でほそぼそながらも週刊の新聞『たいまつ』を出し、反戦・平和を叫び続けられた。

 自分が「たいまつ」をいつ知ったのかは思い出せないが、まだケツの青かった若造の私に、それはまさに「たいまつ」だった。

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が、むのたけじさんの人生の底から身を削った「反戦・平和」ではなく、私のそれはきわめて軽い綿のようなものだった。

 

 翌22日。朝日の『天声人語』には、追悼コラムが載った。

 むのたけじさんは私たちが社会の空気を恐れ過ぎ、自らを規制する、すなわち「自粛」することの危険、弊害を強調していたこと、むのさんは「反骨の記者」と呼ばれるが、彼は、ジャーナリスト、記者とはそもそも「反骨」であってふつう、それがまっとうな姿と語っていた、コラムは、ひるがえって今の自分たちはどうかと自戒の言葉が書かれてあった。

 

 権力が介入する前に、そういう雰囲気を先にこっちが察知して身をひく。腰砕けになる。

 確かに「神国日本」「カミカゼ」「竹槍」を完全に信じこませた戦前の教育はすさまじいというほかない。

 それは、今日のイスラム原理主義者の自爆テロという凶器・狂気とほとんど共通しているだろう。戦前の日本には天皇原理主義日本民族原理主義とでもいうものが吹き荒れていたのかもしれない。

 むのたけじさんを含め、ほとんどの日本人を支配したに違いない。

 当時を生きていたら、私ももちろん「テンノウヘイカ バンザイ!」「ダイニッポンテイコク バンザイ!」と胸を張り裂けんばかりに叫んでいたに違いない。

 

                   ちりとてちん

 

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