カメキチの目
ジカ熱、治安、競技場建設… と、事前の不安はたくさんあったが、南米大陸初のリオデジャネイロオリンピック。
平和のうちに終わって、しかもこれほどの感動を与え、残してくれた。
73億人余りの中の地球人口の1人として、私も世界中の選手のみなさんお一人ひとりに(イヤがられても)ハグしたい気もちだ。
「ありがとうございます」
だがちょっと文句を言わせてください。
その① もっと外国の選手さんの姿を伝えてほしかった。
昔はもっと知ったように思います。
その② メダルにこだわり過ぎ。
「金メダル何個、銀…、銅…」とあまりに騒ぐので、小さな孫までメダル獲得数を覚えました。「金メダル以外は意味がないです…」と言う選手もいた。クーベルタンが聞いたらどう思うだろう。「参加することに意義がある」という言葉はどこへいった?
その③ 宇宙人の目にオリンピックはどう映るのでしょう?
地球報道官(が宇宙に向けて):これは「スポーツ」といいます。けっして「戦争」ではありません。ご安心ください。
国どうしが名誉をかけてたたかっています。カネのある国がだんぜん強く、カネのない国が弱いのはしかたありません。
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「カネがかかり過ぎる」と、費用の問題はオリンピックにつきものだ。
リオデジャネイロでも、主会場の近くにはスラム街があり、オリンピック騒ぎなど、祭り気分どころではない庶民がおおぜいだった。
東京開催が決まったとき、福島の方があきらめ顔でさみしそうにつぶやいておられたのが忘れられない。「どこの国のことかね…」
現実社会はオリンピックの真反対。
オリンピックは、その現実から私たちの眼をはぐらかそうとする「目くらまし」の働きをしているかもしれない。
でも、いつの日にかけっきょくその日はやってこないで、先に人類滅亡?地球は一つになることを夢見る貴重な体験だと私は思っている。いまはあまり聞かない言葉になり、「グローバル」ばかりが耳に入るが、「コスモポリタン」というのがあります。私には響きもこっちの方が好ましい。
そんな夢を見させてくれるのは、残念ながらいまの世界ではオリンピック、パラリンピックだけだ。
夢を見るのはタダです。
4年後の東京。なんせアベノミクスの国ですからカネの心配は無用のようですが、「フクシマ」があります。「ヒロシマ」「ナガサキ」もあるし、前(1964)は戦後復興の成果アピールで余裕もなかったでしょうが、原子力のバカさ・虚しさをアピールしてほしいです。
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スポーツはすばらしい!
どんくさい私でも真実そう思う。
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ロンドンの次の開催地が決まろとしたとき、私はリオデジャネイロになればいいなと思っていた。
アフリカで生まれ、始まった人類の地球拡散の旅の最後の地。その想像を絶する長い旅はアルゼンチンの南の端、フエゴ島、ホーン岬をもって終わりました。
ブラジルがさまざまな人種、民族から成り立っていることと共に、人類・地球は一つを感じさせてくれる。
北も中も南もアメリカ大陸は、ヨーロッパ人が先に住んでいたネイティブアメリカンの人々を追い出し、殺し、文化を滅ぼした。
それはとても悲しい、重い歴史だが、時をやり直すことはできない。
アメリカ大陸の国々だけでなく、人類はやっとここまできたのだ。
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開会式でどこの国にも所属しない「難民選手団」が出てきたときはビックリ!
続いてゾクゾクしてきた。
「難民」というのは悲し過ぎていただけないが、一個人として一人間として参加するのはすばらしいと思った。
あるところで聞いたが、東京のときにリオデジャネイロ規模より大きい「難民選手団」ができることのないよう世界から戦争・テロがなくなってほしい。
東京が(日本が)難民にやさしい都市(国)になってほしい。