カメキチの目
私の頭は単純だからか、AI(人工知能)が普及すれば、人間社会の未来はロボットが支配するなにもロボットが人間に向かってえらそうに「…せよ!」と命令しているわけではありません。AIやロボットの飛躍的な発展に、人間の方がついていけず、ウロウロ…迷っているのです。たとえば火星人の目にはAIが組み込まれた機械に人間が振り回されているように見える
という方向に進み、ブルーな気もちになってしまう。
いけない、いけない!
トンボの目でみなくてはならない。カメキチの目ではダメだ。「ゆっくり」も必要だが、すばっしこくてモノゴトのいろんな面を映すトンボの目が現代には求められている。
少なくとも、±両面をつぶさにみなければならない。
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この前、テレビのニュース。
「農家では人手が足りず困っています。見てください。と、キャスターが何やらコンバインをもっと複雑にしたような機械を示す。
野菜を自動的に選別し、収穫してくれるんです。
スゴイですね!人なら〇人分の働きをしてくれます」
これだけみれば、「オオッ!…すばらしい」となる。
私もなりました。しかし、一つひとつ野菜の育ちぐあいをみて
野菜は「野菜」で、人間のように口はきいてくれないけれど、彼らと「対話する」ことなく
味わう収穫の喜びは薄れるだろう。
モノは考えよう、思いよう、受けとりようでいろいろ化ける。ウン?これも「多様性」
たとえば、車などの交通・運搬手段の発展により歩く機会が減り、食うのは動物として減らすわけにはいかないから食ういや、グルメとかよりうまいものが登場するから食わずにはおれません。
すると、歩かない=エネルギーの減少<食うのはそのまま=エネルギーの維持 結果、人間は太ってしまう。
太るのはメタボにつながりやすく、健康によくないので痩せようとする。つまりダイエット。
ちょっと考えればあたり前のことなんだけど、科学技術の進歩・発展で人間の生活は昔とは信じられないほど「便利」で「ラク」、快適になった。
テレビの『トト姉ちゃん』ではいま、昭和30年代、はじめて登場した電気釜や洗濯機などが登場し、使う人の立場に立ったより良い製品の開発・普及につながる「商品試験」をやっている。
私なんかはドラマに出てくる原始的な、洗濯物を上下のゴムローラーで水分を絞り出すという「絞り器」のついた初代洗濯機を使ったことあります。
快適な生活は、あまり運動をしなくてもいいから太りやすくなり、不健康になる。
快適な生活を一度でも経験すれば、そこから元に戻るというのは、昔の「不便」にノスタルジアを感じたり、「不便」のなかに「便利」「ラク」とは異なった価値でも見出さない限り、むずかしい。
「快適」の行く末が、
AIの組み込まれたロボットの支配する社会という不安に人間の動物本能が爆発して戦争。そして人類滅亡。
どうか杞憂になりますように。
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と、そっちばかり気になっていたら、私はとんだ抜け穴に落ちていた。
たまたま先日、『いのちをつくってもいいですか』という本を読んだ。
ガ~ンと強烈なパンチを浴びた。
遺伝子組み換え野菜、土を使わない野菜…など、バイオテクノロジーの発展・進歩はすさまじい。
聞いてはいたが、あまりこっちに目を向けて、それがどんなにたいせつな問題かを自覚していなかった。
AI・ロボットという、いわば人間の外側ばかり目を向けていた。
が、同時に人間そのもの、内側に目を向けなければならないと思った。
おそらくこれはお互いが影響、作用しあって、
人間の未来社会が残っているとすれば、とんでもないことが起きるのかもしれない。
あらためてトンボにならなければ…。いや、目だけでよいから。