カメキチの目
はじめにー謝らねばなりません。
なにかを書こうとするなら、いま書こうとするテーマがどれくらいの長さになるか?初めに考えて始めなければならないのに、あまりそんなことを考えず、もう③になってしまった。すみません。
(長期連載になっても、自分の意見や感想が多くなっても、著者のおっしゃりたいことに深くうなづくのでページの流れにそって最後まで進めていこうと思います)
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・いちばん初めには、ご本人が亡くなられ未完に終わったマンガ家手塚治虫さんの漫画が紹介された。
その作品は、『いのちを…』のみごとなプロローグとなっていた。
手塚治虫さんの先見性を称賛し、本の冒頭におかれたわけです。
私はずっと前、科学技術をもってしてはつかめないことを(たとえば人類の未来像)芸術はのぞかせてくれることがある、と聞いたことがあります。漫画も芸術です。
・1996年。クローン羊の「ドリー」が誕生した。みなさんの中にも覚えておられる方がおいででしょう。私はちょっとショックでした。「なに?『クローン』。クローンとはコピーみたいなもの。文字のような記号ならいいが、生き物とは…。穏やかじゃないな」
手塚治虫のその漫画の主題はなんと、クローン人間だったのです。
・著者は続いてアメリカの生命学者の心配・不安を引用する。
1980年代から始まった社会の二極化、わかりやすく言えば「格差」のことだが、固定化し、更にさらに進み、未来はふつうの人間「ナチュラル」と呼ばれますと遺伝子改良人間「ジーンリッチ」と呼ばれるの二つの階級に大別される、というもの。
「階級」という言葉を聞いて、ヘンな話ですが、私はなつかしくなりました。
いまの若い世代はあまり聞くことはないと思いますが、昔は「階級闘争」、「ブルジョワ(ジー)」や「プロレタリア(-ト)」が、労働運動や学生運動に参加していなくても広く世の中にみちていました。
プロレタリア、つまり労働者階級(フーテンの寅さんもよく「労働者諸君!」と言っていましたね)がいまに勝利し、社会主義・共産主義国家になる、それが社会発展の道筋というものだ、と二十歳前の私も本気で「革命」にシビれていました(言っときますが、「浅間山荘事件」の赤軍派のような考えはカケラも持ってはいませんでした)。単純に、現代のような「格差」(という言葉は当時はなかった)も支配‐被支配の人間関係もない真に平等な社会、世の中の到来を本気で願っていました。
それが、ユートピアに過ぎないとわかるのに2、3年もかかりませんでしたが(就職した)、確実に息の根をとめられたのは「東西冷戦」終結です。ソ連や東欧諸国の崩壊と残った中国と北朝鮮の現状、資本主義国以上の「格差」と腐敗。
その生命学者は、もちろん「こんなの間違っている」と思っているが、そう思っても、すごいスピードで発展しているバイオテクノロジーの勢いをとどめられるのはむずかしいと言う。
なんせ、その勢いの原動力は「人間の欲望」→「資本主義市場での競争の勝利」すなわち資本主義経済の原理なのだ。
「倫理」・「道徳」は「経済」(カネ)があってこそ。先にパンがなくてはならないのだ。
いや、なくてもいいのでしょう。だって、倫理・道徳が日本社会にあればどうしてまともに食えない子どもたちがいるのでしょう。ブラック企業なんてのが存在するんでしょう…(あげればキリがない)。
それでも、人間が「人間」であろうとすればぜったい、倫理は欠かせない。「子ども食堂」が次から次へとできるのは自然なんですね。
どれほどむずかしくても、生殖・遺伝技術生命倫理の必要を説く人びとがいる。私もその一人になりたい。
〈お詫びのようなお知らせ〉
申しわけありませんが、コメント欄を閉じさせていただきます。
(ホントはこのままにしておきたいのですが、すばらしきブログ生活ですが、さいきん実生活に支障が出てきました。「本末転倒」がうかび、こりゃイカンと思いました)