カメキチの目
カ・ジ・ノ。
カネがあいだに入らないのなら、ただの遊び、ルーレットやトランプ、ゲーム、ジャンケンポン、くじ引きと変わらない。
遊びでは、「ウン」があるとかないとかいっても、いちおう万人に平等だ。
たまに損しても(遊びだから、たまにかけても小額)、負けても、笑ってすませる。
ところがカジノ。
そこではカネが「主人公」。
プレイヤー(する人)なんて「奴隷」とまでは言わなくても「脇役」です。バクチをめぐる悲喜劇、ドラマのネタに困ることはありません。でも、あくまで「主人公」はカネ。
悲劇のいちばんは、「ギャンブル依存症」もありますが、これがもとで起こる「家庭崩壊」と(私は)思います。
脇役のなかには、素ッカラピンになる人もでる(それは「自己責任」と主催者、国は言うでしょう。だって、やるも自由。やらんも自由。100%「自己責任」。国や主催者は「やれ」とは言っとりません)。
素ッカラピンは失うものが0なのでいいですが(よくはない)、まだ賭けるカネがあると、人間は弱い者ですから(私も)負けを取り返そうとし、「こんどは!」「次こそ!」と、アリ地獄にはまります。
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で、胴元の国とか主催者(国そのものは法や制度を用意し、あとは勝手に自治体や民間事業者がやって大儲けしてください、とお墨付きを与えるだけでしょうが、広い意味では税金をとるので一種の「胴元」ですね)
「カジノで海外の大金持ちを呼び込み、日本経済は大発展!」 その流れで海外をみれば、↓
「国は取り分を、OECD(経済協力 開発機構)などを通じたりして、開発途上国(貧しい国)に支援する。カネの流れはすばらしい」↓
「文句ないね!」
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他の税金とかといっしょになって、確かに日本のおカネ(カジノ収益も一種の税金でしょう)が海外援助に使われる。
ひるがえって…
自分が被援助の立場(ここでは国内)、支援される側だったらどうだろう?
「バクチに使われた、賭けの収益なんかいらない!」
「わたしゃ品位、プライドをたいせつにしたい。『武士は食わねど高楊枝』というではないか」
と突き返す、もらうのを拒否するだろうか。できるだろぅか。
こんなカネもカネ。カネに汗水たらした「労働」も、遊び・賭け事(それに費やしたカネも、汗と涙の結晶かもしれない)の「カジノ」もない。
かって私は勤めていた子どもの施設で、その施設の建て替えで、(私たちとしては)莫大な予算を必要とし、国や自治体の補助金は少ないので、某民間団体に補助してもらいました。
そこは、スポーツで勝ち負けを競う、いわゆるギャンブル団体なので(だからギャンブル依存症の「発生源」といえますが)、複雑な気持ちでした。
上司は言いました、「お金に良いも悪いもない。確かにもらうお金の出どころはギャンブルだけど、それが原因で壊れた家庭の「償い」みたいなものをしてくれていると考えたらどうや…」
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小額で遊べる大衆娯楽の定番「パチンコ」。
(おすすめはできませんが)私の若いころは一つひとつ玉を打ち、バスや電車の待合いのいいヒマつぶし(今ならスマホ。なんでか、どっちも手の指を使いますね)に、よくやりました。
スッても(負けても)、300円か400円(一回100円でいくつかの《何個あったのだろう?》玉をもらい、これで勝負)。
(今はパチンコも「進歩」し、電動式になったし、スロット・マシンとか、カネもうけだけに特化したようで、「ヒマつぶし」の遊び要素はあまりなくなったようで、私にはワケのわからない世界に変化し、もう40年もやっていません。かろうじて、孫の「ほとんど頼りにならないガードマン」としてゲームセンターについて行ったとき、パチンコらしき台を見ました。が、やはりワケがわからなかった)
馬や自転車やボート。
それらとカジノのどこが違う?
カジノは純粋なマネーゲーム。
そこではカネが「主人公」なのだ。
馬でも、自転車でもボートでもない。
レースじゃない。
選手ではない。