カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.2.20  『自閉症の君が…』

 

                                                  カメキチの目

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 自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリー(NHK)番組は前にもあったが、また新しいのがあって録画していたのを観た。

 こんなテレビ番組にはそうそうめぐりあえない。

もちろん、何に感動するか、どの程度そうなんかは人それぞれなのでしょうが、これはまちがいなく多くの人の心をとらえると思いました。

番組は『自閉症の君が教えてくれたこと』といいます。できれば、ネットで見てください。

 

 人は生きているなかで(思っていなくても)何かに出あい、気づき、以後の自分の生き方に大きな変更をせまることがある。

私にもありました。

 自然をまえにしての感動であったり、人との出あいであったり、仕事であったり、本であったり、アート、スポーツ…。

 言葉ではあらわせないものがある。

 しかしここでは、だれにも通じやすい言葉、番組で私がいちばん強く感じた東田さんの言葉。四つだけ書きます。

彼の言葉どおりではないです。すみません。

 

① 辛いのはガマンできるけれど、自分がいることがまわり(家族など)を不幸にしていることは耐えられない。

② 生き方は人格のようなもの。すぐには変わらない。

③ 命は一回だけで完結するもの。「つなぐ」ものではない。「つなぐ」ものならば、「つなげない」人はかわいそう。

④ だれも幸せになれる。

 

①は、年齢はずいぶん違っていても私も障害者なのでとっても共感します。

 

②の人格という話には驚きました。

これは、「ガン」という重い病気にかかり闘病中でもあるディレクターが、ガンになったことで大きく人生観が変化したので、「人は変わることができると思いますか?」と尋ね、そのことへの直樹さんの言葉です。

生きる姿勢が人格に凝縮する。「人格」というものが新鮮に聴こえました。

「歳とったらあんな顔(イケメンではない)になりたい」と憧れる、深いシワに囲まれながらも穏やかな表情をたたえておられるお年寄りの顔(私もじゅうぶん年寄りですが)に出あうことがあります。長年の人生が「人格」として顔ににじみ出ているのでしょうね。

 

③ 「命は一回で完結するもの」と東田さんが言ったとき、私は前に自分がここで書いた記事『寿命…③続くこと』を思い出しました。

人類としてはいつまでもバトンタッチが繰り返され続いていても、個々の人間は一回限りの人生を始めから終わりまで生き抜く。つまりそれ自体で「完全」なるものだということをあらためて痛感させられました。

東日本大震災ですごく強調された「つなぐ」。そこではほんとうに適切な、誰の心にも深く届くものだったのですが、その言葉(「つなぐ」だけではないですが)が発せられようとしている場にふさわしいのかどうかを考えなければならないと思った。

 

④ 誰も幸せになれる。

「幸せ」に対しては貪欲にならんといかんのですね。

待っていてはダメ。向こうからはやって来ない。こっちがつかみ取らないといけない。不幸と感じていることでも、見方を変えれば幸せに感じられる。

「棚からぼた餅」を想い願う(そういう自分に満足する)のはいいけれど、かなわなかったら不幸と思うのはどうかな?(と私は思う)

 

 

                   ちりとてちん

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