カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.7.20 つれづれの記①

                                                  カメキチの目

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『人びとの自然再生』という本を読み、「聞きとり」「聞き書き」というもののたいせつさを感じた。

 

「聞きとり」「聞き書き

 

 六車由美さんの『介護民族学』で、(旅にでたとき、車窓から、まるで電柱をみるようにいたるところで鉄塔を見かけます。辺鄙な奥ぶかい山々でも、山から山へ、架け橋のようにつらなっている)鉄塔建設に全国あちこちの現場で従事したお年寄りの話がある。

六車さんが介護の現場できいて、書いたものだ。

 

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 クモの糸、ネットのように、全国くまなく張りめぐされた電線。

電波なら鉄塔は「基地局」だけですむのでしょうが、電気そのものは、目にみえないことはいっしょでも、電波みたいに空中を飛ぶわけにはいきません。

山のてっぺんの鉄塔をみながら、(科学技術の現時点の発展段階では原子力は最終的な処理もできず、生命に危険なので)私は「原発反対」ですが、電気の力の偉大さを思い、それを供給するためにどれだけたいへんな人々の苦労があるかを想像し、感謝しなければならないと、このときだけは殊勝にも思ったものです。

ほんとうはいつも思わなければならなりませんけれど…(東北大震災後の「節電」「エコ」はどこに行った?)

 それを持ちあげ、つなぐ基点としての鉄塔。

 誰かがそれをたてる仕事をしなければ、それはそこに存在しない。

 あたり前のことだ。

 電気の明かりは灯らない。

 あたり前のことだ。

 その「あたり前」を、鉄塔設置の仕事に現場でたずさわった元鉄塔建設作業員(職人?)の方(いまは介護施設の利用者のひとり。80代男性)に語ってもらったときのようすを、著者は感動的に記す。 

 その感動がこっちにも強くつたわってき、私も同じ気もちになった。

 その場にあった人しか感じえない、語りえない現場。臨場感。 

 たとえわずかなそれでも、私たちは「聞く」ことができる。そして「聞く」を通してしか知りえない。

 聞いたことがわずかでも、それをモトに、あとはこっちが想像力を逞しくし、つけ加え、ひろげればいい。

(聞かなければ、消えてゆくしかないのです)

 

 正直、あれから(六車由美さんの『介護民族学』の)鉄塔の感動を忘れていた。

 

「聞きとり」「聞き書き」のことを書いていたら、いまこんなことを思いついた。

 

 私も老いた。

 いつのまにか、自分が「お爺さん」。もうひとりの自分が「ウソでしょ?」と言うが、まぎれもない事実。

 結婚して四十ウン年。私の世界のほとんどはツレに語ったけれど、小さいときのこと、少年時代の思い出は、おたがいの育った環境(とくに自然)の違いがあまりに大きいので(男女差もあります)話してもわからないだろう、実感わかないだろう、つまらない話ということで初めから話していないことが多い。

「オマエさんの語りを聞こう」という奇人、変人がこれからの残り少ない私の人生に現れることなどない。

 しかし、きわめてつまらない話でも、そんなことに興味をもっている人の眼に記事がとまらぬとも限らぬ。

 ドラマチックな生をおくった、過ごしている方々は限りなくおられても、記録しない限り、すべては消えてゆくのだ。

ドラマチックでなくとも、泡沫(うたかた)にすぎなくとも、「私の人生は私だけのもの」。

こうしてみなさんのブログを読ませていただき、つくづくそれを実感しています。感じさせていただいて、ありがとうございます。

 

  よし!

「つれづれの記」というタイトルで昔のことを書こう。シリーズにしよう。

 思いつくまま、気の向くまま。寅さんスタイルでいこう。

 なんにも計画、予定はない。

 

きょうの話を①としました。

 

 

                ちりとてちん

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