カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.10.1 おことわり

                                                  カメキチの目

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 ブログへの思いは前にも2、3度かいたことあります。

 そのときも感じていたことですが、書かなかったことがあり、ずっと気になっていました。

 一度きちんと書いておことわりし、謝らなければならないと思っていました。

私が「読者」になっている方々に対してです。

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「プログラム」「電子ゲーム」「音楽」「オシャレ」「料理」「健康(ダイエットをふくむ)」「スポーツ」…私はどれもダメ(女性に多い「断捨離」「シンプルライフ」「エステ」…なども)

正確にいえば(興味・関心がないのではなく)わからないのです(わからなければわかろうとすればいいのですが「面倒くさい」「いまさら…」が先に立ちます)。

私は年齢を経ても活動的で、新たなことに挑戦する人を尊敬し賞賛しますが、自分にできるとは思わないし、する気もないところに落ち着いています。

 「あまり興味・関心がないのになんでその方のブログの読者になるのか?」

「オマエはなんといういい加減なヤツ!」

「一生懸命そのブログを書いている方に不誠実!」

といわれてもしかたありません。自分でもそう思っています。

 しかも、どの方のどの記事も、減りも増えぬもせぬ5個の☆をつけており、いい加減な反応は、記事を書く方は「書き甲斐がない」のではないかと思いもしています。

 だったら、

読者になるな、ヤメたらいいのかもしれないですが…。

 読者になる(である)ならば、気にいった記事だけその度合に応じて☆をつけるべきではないかのですが…。

 

 しかしです。

「いろいろ」「さまざま」はじつにおもしろいのです。

 自分だけの小さな世界が、その小ささに気づくのは、他の世界に触れてこそのことです。

 よくいう「多様性」。それは何も地球環境とか、生物種とか文化についてだけの専用の言葉じゃない。

 思えば「個性」という言葉は「多様性」よりずっと古くから使われていました。

「いろいろ」「さまざま」のうちには、初めに書いたようにいまの私にはわからないものがいっぱいです。

いまはなくても、これからあるかもしれない。いまは興味・関心ないことでも先のこと(死が先に訪れるかもしれないですが)はわかりません。年寄りの自分でもそんな「可能性」「希望」は持ちたいです。

それに、あまりわからない記事のときはきちんと読まないこともありますが(というか多い)、「(記事のことはよく理解できないけれど)ガンバってください」という心をこめて☆はつけます。

そういう姿勢、態度をお許しください。きちんと読まなくてゴメンなさい。

 

 そういうブログの読者に何故なったのかというと、その方が私の読者になってくださったからです。

それはこっちもならないといけないという思いがあるから(そういうのを「はてな互助会」と呼ぶらしい。どうやら私は「会員」みたいです)。

 ともかく、その方にご縁があったと感謝し、その縁をたいせつにしたいと思ってきました。

そんなわけで、読む記事が増えていけばますますいい加減な読み(見)かたになり、一生懸命に書かれた記事に対する申しわけなさが強くなるので、もう読者登録などやめなければならないと感じています。

 

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 最後に自分のブログへの姿勢のひとつを書きます。

 それなりに長く(そう思っています)生きてきて、とくに若い方にそれなりに言いたいと思うことがあるからです。

 ほとんどは「失敗」「反省」のつまらない話ですが。

 

 自分が「ジイさん」とよばれるなんて、若いころは思ってもみませんでした。

 しかし、生きている限り、誰でも着実にそうなるんだということ、これも無数の「あたり前」の中のひとつだということを、こうなって初めて実感しました。

私の場合は+「障害者」も。

 たぶん、同じものごと(モノやコト)であっても受けとめ方・感じ方・とらえ方・反応のし方が、若いころとは違います。

 それなりに長く生きてきたからこそ「こう思う」「そう感じる」ということがあります。

いまはこう思っていても(歳とっていても)いつそれが変わるかもしれない。

正しいとか誤っているという問題ではありません。

 

私は度数3.5の老眼鏡を(読書のときは100円ショップで4.0を見つけ、そっちを)かけてパソコンに向っています。

ちなみに、夫婦そろって「ハァ?…いまなに言った?」と聞くことが多くなったし、数か月前からテレビの音量を大きくしました。

年をとるということは、そういうことでもあります。

 

                  ちりとてちん

 

 

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