カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.2.3『日本辺境論』③ ブリコルール(オマケ)

                                                  カメキチの目

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 おもてなし、謙遜・謙譲、佇まい、温厚さ、静寂を愛する心はどれもわが身になじんでいる。

「蛙とびこむ水の音」さえも。

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この国に生まれて育ったから自然に身についたことで、ちがう環境の中で生まれ育っていたら、またちがっていたと思います。

 脳は「日本人仕様」の配線になっているにちがいない。いくら「個人」の特性があるにしても、「環境」の影響は圧倒的だと私は思う。

 まわりもほとんど同じだから、あえて問わない限り同じような感じ方をし、同じような行動をとっている。

私は、現代のような国際色ゆたかな中で育ったわけではないし、海外旅行(留学はもちろん)もしたことないので国際感覚はありません。

それでも旅ではよく中国・台湾・韓国の人にあいます(顔つきが日本人と似ているので見分けがつかない。でも、大きなキャリーバッグを引きずっているかどうかでわかることもあります)。そして、生活習慣のちがいを見ることもあります。

同宿で入浴のとき、(女湯では)立ってシャワーされるので湯がかかることあるらしく、「いやだなぁー」とツレがこぼすことあります。男湯はそんなことはなく、(仲間で)おしゃべりされるのをを聞くまではまったくわからない。ひとりのときは(独り言でもない限り)まったくわかりません。

ともかく、こっちは「井のなかの蛙」。その身にはちょっとした文化、風習などのちがいも新鮮に感じられる  

 

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  ところで、「ブリコルール」。

 

 記事にたびたび引用させていただく鷲田さんのコラム朝日新聞の「折々のことば」)に、先日、東北大震災で被災した石巻の主婦の言葉が載っていた。

「人間ってさ、少しずつでも、こうなったらいいんじゃないか、ああなったらいいんじゃないかって、工夫をするもんなんだね」(橋本信子)

手に入った食材に創意工夫をこらして最高の料理をつくり、復旧にかけつけてくれた大勢のボランティアさんに喜ばれた橋本さん。

 

 同じころ、こんどは「反貧困」で有名な社会活動家の言葉が載っていた。

「『ない』ものではなく[ある』ものに注目する、『できない』ことではなく『できる』ことに注目する」(湯浅誠

いま手のうちにあるものに目を向ける。外から引っ張ってくる発想(それが必要なときもあるけれど)じゃなく、いまあるもの、潜んでいるけれど目にはみえないもの。その可能性に注目する(障害者の自分に言われている気がした)。

 

 

 こういう発想も立派なブリコルールだと思った。

 

 

                ちりとてちん

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