カメキチの目
またテレビ番組をネタにしてすみません。
「刺激」に乏しい生活なのでテレビは(本とともに)いろいろな世界をみせてくれるのでありがたいです。
録っておいた『モアイのイースター島』というBS・NHKの番組をみた。
「モアイ」や「イースター島」という言葉はよく耳にするけれど、上っ面だけしか知っていなかったことを痛感した。
番組は、21のミステリー(?)を解き明かすというかたちで進行。
どの謎も魅力があり、すばらしい番組でした(制作したスタッフのみなさんのご苦労が想われた)。
番組詳細はネットに譲り、感想をひとつだけ述べさせてください。
「イースター島には『人類の営みのすべて』がある」
最後のさいごに、ナレーターが語った言葉が胸に迫った。
感想は、このひと言にすべて凝縮される。
ミステリーは21もありましたが、その多くはイースター島いがいの地域(場所や時代をこえて)でもみられたに違いないと思いました。
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イースター島に、いつ・どこから・どういう人々が住みつき、あの有名な巨石人物像をなんの目的で、どんな方法でつくったのか?
いまはどうなっているのか?
…
巨石をどうやって山から切りだし、運び、立てたか?という謎解き。なにを主食にしていたかといった生活面での話は、単純におもしろかった。
人々が住みついた当初は、衣・食・住の確保というたいへんな苦労があった。
しかし、人々は創意・工夫をこらした生活術を次々に編みだし生き抜いた。
だが、人々の力ではどうしようもない自然。
人間を温かく包みこむときもあるが、ときには無慈悲に襲いかかる。
人々は、畏れうやまい、祈ることしかできない。
人間の力を超越した天地自然は、神としかいえなかったのでしょう。
そして、イースター島の初めの人々は力をあわせ、あの有名な石像をつくり、据えた。そして祈った。
祈るしかない生活であったが、貧しくても、平和で、穏やかだった。
人間が人間の敵となることはなかった。
イースター島の文明は「ラパ・ヌイ」といいます(先祖は台湾方面から来たらしい)。
なんでもそうであるように「始めあれば終わりある」。
ラパ・ヌイ文明の衰退期には食糧難によって部族同士の争いにより(争い、つまり戦が盛んにおこなわれたから「衰退」し、この期間をのちにふり返り《歴史的にみて》「衰退期」と名づけたのですね)、人口も(最盛期は2万人もいたが)3000人になったそうです。
そのうちヨーロッパ人による島の「発見」侵入。
島の人口の半分、1500人の人々が「奴隷狩り」で本国に送られた。が、後に本国での人道からの批判で15人が島に戻されたけれど、本土でもらった伝染病に罹っていたそうです。
こういう歴史の流れは普遍的。どこにも当てはまりそう。
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小型核兵器を開発しようとする動きが伝えられたり、「平和の祭典」であるはずのオリンピックが政治の手段に使われたり、こんな世相の流れに私は(記事にもしばしば書いているとおり)「人類滅亡」を想う(想像しなくても早いか遅いかの違いでそうなると信じていますが)。
極端なことを想うのは、前に書いた「老人の怒りやすさ」が典型的にあらわれているのかもしれません(ですが、こういう理不尽は怒ってイイと思う)。
人類は他の生き物より賢い…と傲慢になっていますが、きっと「しっぺ返し」があるに違いない。『平家物語』にあるように「驕る者は久しからず…」です。なにも平家だけの話ではありません。
「思考停止」ということがいわれる。 気をつけなくては!
冷静になって考えるという行為がわずらわしく感じられ、「ええい、どうにでもなれ」「どうせ言ったってムリ」。あげくの果てに「長いものにはまかれろ」
で、人類滅亡につながる恐れのある、話題の核兵器のことを考えてみました。
なんでアメリカなどだけ「大国」独占状態がいつまでも続いているのでしょうか?(Kがアメリカへの対抗手段として核兵器を持つというのはわからないでもありません。イラクのこともあるし)
いまの膠着状態をちょっとでも改善しようと、悲願の南北統一に向けてカタツムリ・カメのような遅々とした歩みでも、B韓国大統領は前に進もうとしている。
なのに、A。Tの金魚の糞のような振る舞いばかり。情けない…
イースター島の時代は遠い過去のこと。しかし、
自分はラパ・ヌイの人であったかもしれない、と思う。