カメキチの目
先日、電通の高橋まつりさんと同じように若くして過労で亡くなったNHKの女性記者・佐戸未和さんのご両親がテレビで、国会で議論されていた「裁量労働制」について、制度の是非は別として、(ともかく娘さんのような「過労死」が二度と起きないようなものになってほしいと訴えておられた(お母さんは何度も目にハンカチをあて…)。
「残業」「働き過ぎ」「ブラック企業」…そして、「過労死」(自殺を含む)
働き過ぎには、私のような怠け者、自分にやさしく、休むの大好き人間はつぶされるおそれはないが、几帳面で真面目な性格、周囲に細かい気を遣う優しい、繊細な神経の持ち主は気をつけなければなりません。
上司に「期待のまなざし」を感じ、無理してでも応えようとする。同僚に「同調圧力」を感じ、(ちがうんだけどなぁと思っても)周囲に無理して合わせようとする。
総じて、まわりの空気を読むことに神経を注ぎこみ、疲れ果てる。
「過労死」まではいかなくとも、「残業」「働き過ぎ」は誰にもよくあります(現役のとき私でも残業はよくやりましたが、決して無理はしなかった《自信をもって言います》)。
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ところで、前々から気になっていた「無理」ということが心に引っかかり、あらためて考えこんでしまいました。
ちなみに「無理」をネット検索したら、デジタル大辞泉には次のように書かれていました。
[名・形動](スル)
1 物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。「
2 実現するのがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。「
3 しいて行うこと。押しきってすること。また、そのさま。「もう
「労働」「働くこと」にかぎらず、日常の中では、
「ちょっとムリ(無理)すればできる(だろう)」ということはたくさんある。たとえば、
この荷物は重い。重いけれど、ちょっとガンバレば、「持って持てないことはない」。
で、(「まわりへの配慮」も「自信《見栄?》」もあり、「持ってもてない」わけではないので)ガンバる。持つ。
持ったはいいが、
あるとき、ぎっくり腰を起こす。
こういうパターンはいくらでも見つかります。
(ぎっくり腰は治るからいい。これをきっかけとして腰痛になっても、腰痛にはいろいろな治療があり、これを受けられる。でも、そもそも治療を受けられなかったら…)
「やってやれないことはない」。
あと少しガンバればやれる。
いまある自分の状態を進める。
「少しだけ前へ」。
ちょっとのことだから大丈夫、いける!
こういう態度、姿勢こそを「無理」というのではないかと私は思った。
「無理をした」と気づいたときは、その行為が結果的に「無理」だったわけです。「無理の代償」としての病気とかケガをして(極限は死)、はじめてそれが「無理だった」行為と知る(死んだら、本人にはわからない)。
「過ぎたるは及ばざるが如し」。
無理は取り返しのつかない、大事にいたるおそれがあると思う。
無理はなにも労働のことだけではありません。人の生活、営みすべてにいえるのでしょう。
天気予報で寒さで道路が凍結するかもしれないと聞いていたのに、「大丈夫だいじょうぶ…」とチェーンを巻かずに車を走らせたり…