カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.6.30 いま愚直であること

                                                  カメキチの目

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先日、大阪を中心に大きな地震が起こりました。テレビに何度も映し出される塀の倒壊やごく一部とはいえ家の火災は阪神淡路大震災を思い出させ、ゾーとしました。

(東北大震災の大津波によっておもちゃのように流されてゆく家々、車…。阪神淡路では大空襲を受けたかのようなビルや高速道路の倒壊、燃えつくされる家々…)

季節が寒いとき、時間がもう少し早かったら… 想うと鳥肌が立ってきました。

 

遠い将来、人類は火星などに居住。そのための実験がなされるほど科学や技術が進んでいても、地震の予知にはサジを投げた感の気象庁(それだけ難しいことなのだろう。だから天災は忘れた頃に突如、私たちを襲う。「50年に一度」「100年に一度」という人を脅すような表現になるんですね)。

備えはとてもたいせつですが、備えは「備え」です。なんせ相手は大自然。歳とった私には良寛の「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候…」がピッタリくる。

 

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しかし、こっちは人間が人間をダマす、欺くという問題。人間の問題。

超ケタはずれに小さく、超バカげた問題。

それでも、政治・経済に逃れては生きてゆけない。

 

「『モリカケ』? 何それ?」

「森友・加計」のような日本政治の劣化、ひび割れが起きても、時はすべてを忘却のかなたに置いてゆく(その証拠に、最近、安倍の支持率が上がった)。

あれだけ3.11の教訓にしたはずの原発。なにもなかったように原発は次々に再稼働を始めている(私のところは「関西電力」管内。原発再稼働できるようになったので電力料金を下げるという《こんなことわざわざ言うか?魂胆まる見え》。もちろん、ウチも上がるより下がるほうに〇)。

こんどの地震で「万博大阪誘致」は劣勢に立たされただろう。東京オリンピックは政治レベルではやることを決めていても、地震がやめさせるかもしれない。

 

 国会で(まちがわないでください、「国会」。国の最高機関の「国会」。小中学校の「児童会」「生徒会」ではありません。政治家、高級官僚たちは子どもたちに「森友・加計」をどう説明するのでしょう。子どもは大人じゃないので「説明責任」は不要というわけか。ワッハハハ…

あれだけ、

「もうない…廃棄した」と念押しされた公文書(しかも、「改ざん」され、黒塗りされたもの)が出てきたという話からだいぶんたった。 

 あれだけ、

「会った記憶はございません」と押し通された記憶が戻ってきたという話からもだいぶんたった。 

 

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 きょ年の秋、もう半年もかるく過ぎたけれど、国政選挙があり、野党の潰しあいみたいなつまらない騒ぎに北朝鮮のミサイル騒ぎが手伝って、与党圧勝に終わった。

北からほんとうにミサイルが降ってくるのかと、心配になった人々が出たのはムリのないことでした(Jアラートの警告音でビックリ仰天してからまだ1年もたっていないのに)。

あのときは副総理兼財務大臣がお得意の饒舌で、ポロッとホンネを漏らした。

「ミサイル発射騒ぎのおかげでわれわれは勝利できた」

 

 きょ年の大義なき、国費大ムダ遣いの総選挙のあとに、作家・池澤夏樹さんが「絶望の一歩手前で それでも、愚直に選ぶ

という文を朝日新聞に載せていたことを思いだした。

 

【引用】2017.10.4

「秋になって、讃岐から栗が届いた。

 まずは栗ご飯と思ったが、その前に栗を剥(む)かなければならない。

 熱湯に放り込んで三十分、笊(ざる)に上げて、卓上に包丁とまな板を用意する。…

 固い鬼皮はまあ楽にカパッと剥ける。その先の甘皮がなかなか大変。実に密着しているから包丁で丁寧に分けるしかない。大雑把 にやるとおいしいところを捨てることになる。

 大根の桂(かつら)剥きやトマトを剥くのに似ているが、栗はサイズが小さい。その分だけ包丁使いが細かくなる。手を動かしながら味見の誘惑に耐えるのも容易ではない。

 結局、三十粒を剥くのに一時間半かかった。一粒三分。グリコの広告に「ひとつぶ300メートル」とあったのを思い出したりして。

 栗を剥くのは愚直な作業だ。手と目は忙しくても頭は暇だからいろいろなことを考える。黙々と包丁を動かしながら、この対極にあるのは政治家という職業かと思った。

     *

 この数年間、安倍普三という人の印象はただただ喋(しゃべ)るということだった。枯れ草の山に火を点(つ)けたかのようにぺらぺらぺらと途切れなく軽い言葉が出てくる。対話ではなく、議論でもなく、一方的な流出。機械工学で言えばバルブの開固着であり、最近の言い回しを借りればダダ洩(も)れだ。

安倍普三は主題Aについて問われてもそれを無視して主題Bのことを延々と話す。Bについての問いにはCを言う。弁証法になっていないからアウフヘーベンもない。

 これは現代の政治にまつわる矛盾の体現かもしれない。資本主義と民主主義という二つの原理の間にどうしようもない矛盾がある。民主主義は権利や富が万民に行き渡ることを目指す。資本主義は富の集中と蓄積を旨とする。ベクトルが逆なのだ。

 現政権の面々はほとんどが富裕層の出身である。有権者の九割九分は富裕層ではないのに、なぜ彼らに票を入れるのだろう。

 選挙前、彼らは貧困層に厚く配分するとは言わず、景気がよくなったらみんなに行き渡るからと言う。自分は景気をよくする秘訣(ひけつ)を知っていると繰り返す。これはカジノの原理だ。

 政権の座に就くとあとはひたすら喋ってごまかす。もう少しもう少しと先送りする。よくもまあそれが五年も続いたと思うし、その間に憲法は蔑(ないがし)ろにされ、反民主主義的な悪法が多く成立してしまった。悔しいかぎりだ。

 加計と森友で追い詰められて一方的に解散。その上で国難とはよくも言ってくれたものだ。「今日は晴れ後曇り、ところによりミサイルが降るでしょう。お出かけの方は核の傘をお忘れなく」って、それならばすべての原発からすぐに核燃料を搬出し、秘密裏にどこかに隠しなさい。原発はミサイルを核ミサイルに変える施設なのだから。

 野党の方はただただ情けない。普通の人は安倍普三のようにぺらぺらは喋れないとしても、求心力のある人物が一人もいなかったのはなぜか。

…(略)…

 

 政治は必要である。どんなに質の悪い政治でも無しでは済まされない。アベノミクスが嘘(うそ)で固めた経済がこの先どこまで落ちてゆくか、見届けるためにも少しはましな政府が要る。

 選挙の原理はこの「少しはまし」ということに尽きるのだろう。理想の候補はいないとしても、誰かの名を書いて投票しなければならない。

 話を元に戻せば、この国のほとんどの人は栗を剥くように実直に働いている。一粒に三分を費やしている。我々には愚直な一人一票しかない。それならば、絶望の一歩手前で踏みとどまって、まずはこの権利を行使しよう

 

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ダルマさんのような「愚直」という言葉を痛感した。

愚直」という言葉は『goo国語辞書』には、

正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。また、そのさま。ばか正直。「愚直に生きる」

とありましたが、他の辞書でもだいたい同じ。

 とるに足らない小さなウソはついても、国政に影響するような大きなウソをつけない私たちは、

「栗を剥くように実直に働いている」やり方で「愚直」に投票し、少しでもマシな日本にしたい。

思えば、災害後の復旧だって「栗を剥くように実直に働いている」やり方。

それしかない。石を積みあげるように、地道に一つひとつ必要なことを重ねてゆく。

 

 

                  ちりとてちん

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