カメキチの目
テレビのサスペンスドラマが好きなのでよく見る。
なかに、西村京太郎や内田康夫などよく聞く作家のものもある。
視聴率を上げるためか、テレビ局はサービス精神旺盛で、ドラマには鉄道や旅という場面がよく挿入される。
話の流れはそれほど複雑でなく、私のヘタな推理もときには当たる。
娯楽の要素たっぷりで(といっても本格推理)楽しくみられるし、疲れなくていい。
旅好き人間には、生涯いけないと思うところに連れていってくれるし、乗ることもない乗り物にも乗せてくれるので、ホントにありがたい。
かと思えば、ときどき、すでに訪れたことのある場所が登場し、なつかしい気もちにさせてくれる。
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浅見光彦モノは複数のテレビ局でやっているから、人気シリーズなのでしょうか。
そういえば内田康夫さんは亡くなられました。ご冥福をお祈りします(テレビでこんなに楽しませてもらっているのに、本は読まなくてゴメンなさい)。
浅見光彦は水戸のご老公のような兄さんをもち、お手伝いさんもいる裕福な家庭のお坊ちゃんであるけれど、人柄がよい青年で、誠実だ。(誠実なところは日大アメフト部の宮川青年を想わせます。浅見青年はその誠実さがアダとなり、シリーズ話でステキな女性が現れても、すんでのところで淡い恋は実らない。「カッコいい寅さん」のようです)ちっともイヤミを感じさせないところがいい(たぶんに役者さんの演技によるものでしょう)。
主人公は『旅と歴史』という雑誌のルポライターという設定。日本全国各地がルポ対象であるが、歴史と伝統にこだわった地域がとくに選ばれる。
「秘境」と呼ばれているところ、「平家落人」伝説のあるところは好んで取りあげられる。
そのときの物語の舞台は「平家落人」伝説のある、高知県の四万十川近くの山々に囲まれた奥ぶかい集落だった。
ドラマは主人公と、そこで生まれ育った若い娘さん(今回の光彦はこの女性に言い寄られ、自分も彼女にちょっと惹かれる。女性は平家落人の何十代目かの「お姫さま」にあたるらしい)を中心に展開してゆく。
(物語の流れ、詳細は省きます)
殺人事件をはじめとしたさまざまな出来事が起こった末に、ドラマのしめっ括りの場面で祖父(この人が平家落人の末裔。祖父と孫娘《彼女の母が祖父の次の末裔にあたるが、村では「禁忌」とされている駆け落ちで好きな男と死んでいる》の家系は、「源平合戦」のあとに難を逃れ、この地に住みついた大将が遠い先祖にあたる)が孫娘に話す言葉が心に響いた。
「〇〇子(孫娘の名前)、ワシは故郷(つまり「平家落人」のこの辺鄙な地)が、だれでも、いつでも安心して戻って来られるところであってほしいと願っておる。ここを出た者が歳をとって(若いままでももちろん)望郷の念にかられたらいつでも安心して戻って来られるよう。
ここを離れたことが一度もなく、ここに住んできたのは、それがワシの務め(「定め」。つまり「宿命」のようなものとして)と思ってきたからだ。だから、結婚も仕事も親が決めるようにやってきた。自分が『ああしたい』『こうしたい』という思いは持たぬようにしてきた。
それが、村を守るということだと信じてきた。
…でも、オマエはもう自由にすればいい」
(正確なセリフではありません)
(いままで何本か浅見シリーズをみてきましたが)私はこんど初めて、内田さんが娯楽作品を書き、読者を楽しませながらも主張しようとされていたものが、ほんの少しわかったような気がした。
それは、人は生まれ落ちたときから、それからもさまざまな「偶然」が待ちうけており、どうにもならぬことがあるということ。
昔から、福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず…」を信奉している私は、「天皇制」はたとえ象徴性ではあっても反対だが、考えれば天皇も好きで天皇になったわけではない。
(遠い昔は違う場合もあったでしょうが。正統な血筋はワシじゃと兄弟同士や親子間で殺し合ったこともあったと歴史は伝えています)
天皇家に生まれた、生まれてしまったというどうしようもないことで、天皇になるという荷を背負わざるをえなくなった。
天皇も、(「普通」というものがあるわけではなくても)庶民、市井の人が営んでいるような生活を送り、喜・怒・哀・楽を日常的に味わいたいと思われているのではないだろうか。
愛子さんは女性であるからという理由で、現在の「皇室典範」に反しているから天皇になるのはムリじゃないのかなというバカみたいな論議が血税を遣って延々となされている(はからずも、この前の「大相撲の件」を想いました)。
愛子さんも悠仁さんもかわいそう。
それにしても今の天皇ご夫妻は人格的に立派で敬愛できる方だと私は思っています(昔の天皇は教科書でしか知らないし、載っていることを今では単純に信じているわけではないので、「わからない」というしかありません)。あのお歳で、東南アジアや南太平洋まで出向かれ、先の戦争での加害に対して心から謝罪し、頭を下げられる(ともかく誠意があります。真心が強く、はっきり感じられる)。政府の誰かさんたちのような、口っ先だけの「謝罪」とまったく違う(「謝ればイイんだろー。アヤマレバ…」)。
わが身に、血筋・血縁・地縁・宿命・慣習・因習…を感ずるとわずらわしい気もちに襲われるけれど、同時になんか温かいもの、親しさ、やさしさに包まれたような安心感もやって来て、複雑になる。
現在の自分の人生は、遠い先祖の生死に連なっている。そして、子々孫々に繋がっていく。
こんなあたり前を、「浅見光彦シリーズ」から思った。