カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.11.2 『ルパンの消息』

                                                  カメキチの目

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小読を読むことはほとんどないのですが、愛読する「よんばばさん」のブログで横山秀夫さんの推理(警察)小説『ルパンの消息』を知り、読みました。

もちろん、よんばばさんのすばらしい記事に刺激されてのこと。

               

yonnbaba.hatenablog.com

(作者は元・新聞記者だからか、刑事や記者たちの「目」《心》からみた事件・犯罪が詳しく描かれています)

 

 

私は最後のページでの、事件解決後の刑事たちのリーダー(係長)の述懐に深く感じいりました。

(同時に、こんな長編をよく読みとおしたなぁという満足感も味わった)

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【引用】 ()と赤字はこっちがしました。

 

(事件解決後の係長刑事の述懐)

「ああほら、橘宗一(犯人)の高校時代の口癖というのがあったでしょう。アポロが月に着陸した時ほどがっかりした事はなかった、もう世の中が行き着く所まで行ってしまった感じがした―そんな言葉でした。夢中で仕事をしていて考えたこともありませんでしたが、言われてみると、戦争も戦後も薄れた昭和の後半という奴は確かにそんな時代だったかもしれない。何もかもが膨れて、伸びて、伸びきって…。十分豊かになったのに、どこかでそれに首を傾げている。なぜ豊かになったのか、どう豊かになったのか、みんな次第にわからなくなっていった。アポロの仕組みも技術も何もわからずに、テレビの映像で月面を跳ね回る男たちを繰り返し見せられる、あの奇妙な感覚が昭和の後半、ずっと続いていたような気がするんです」

そんなものを引きずりながら、しかし誰もが現代人であろうとした。戦争では人が死に、学生運動でも血が流れた。それはそれで終わったことと見切りをつけ、わけのわからない豊かさに包まれてみると、社会は妙にとりすました大人の顔になった。面と向かって争わず、まして血など流さず、代わりにルールとか分別とかが幅をきかせ、善行だとか人のためとか、そうした正論の濾過器に世の中すべてがかけられていった。しかし、そもそも成熟社会などありえない幻想だから、正論では濾過しきれない矛盾だらけのブツブツが残ってしまう。なんというか、正論社会への疑念と憎悪がごちゃ混ぜになったような手ごわいブツブツが―

 

 とても意味ぶかいことがいわれているようで、読後しばらく考えこんだ。

 

若い人たちはピンとこない感覚でしょうが、そのとき若者だった私も「人類初の月面着陸」を「人類の勝利」と単純に喜びました。

アメリカというよその国の快挙ですが、日本人の自分も「わがコト」のように。人類の一員として《当時、そういう意識もっていたとは思わないが》)

 

小説のなかの橘宗一は同じころ、「アポロが月に着陸した時ほどがっかりした事はなかった、もう世の中が行き着く所まで行ってしまった感じがした」と思っていた。

 橘宗一は高校生なのだがとても早熟である。

 しかし、「早熟」というひと言で彼のことをあらわすのは不遜なほど、彼は純粋な少年でもあった。

純粋であるがゆえに、正当防衛的な行動で殺人を犯した女性への愛を貫くために彼女をかばう行動をし、「共犯者」となりました。

 

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適当な「犯罪史」を読むだけで、犯罪を通した社会、世相の移り変わりがわかるのでしょうが、私は先の【引用】で次のようなことを思いました。

 現代の犯罪は、一つには「イジメ」「虐待」など歪んだ心がはっきりと感じられるものと、二つ目には「ひっそり」「自己顕示」の違いはあっても本質は似たような「通り魔」的なものと「劇場型」的なものがあるのではないだろうか。

いずれにしても、食う=生きてゆくためにやむなく犯してしまいがちなところが見られません。

 

 対して昔は、「食う」ために盗みをはたらく、そのときあやまってケガさせた・殺めてしまった、あるいは(相手から酷いめを受けていたので)憎くてならなかったというのが多かったのではないだろうか。

私たちにも(同情、共感まではいかなくても)理解できた。ありうると思えたものが。

 

 いまは理解できない事件、(アリえないという)犯罪が多すぎる。現実は私たちの「想像」を超えている。

最近は、家族どおし・身内どおしの殺人事件もよく聞きます。

 

「食う」ことには昔ほどには困らぬようになったので、(《犯罪を犯して》どうなろうとも。あるいは、そこまで考えず、感情のおもむくままに)「自分の存在を確かめる」ために犯罪を起こしているように思えるものがある。

「誰でもよかった」「殺してみたかった」

 

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もう世の中が行き着く所まで行ってしまった感じがした

 私は、「世の中に行き着く所」はないと思うが、「成熟社会などありえない幻想」とは思いたくない。

理想とする世の中(「成熟社会」)がどんなものかはわからないけれど、「在る」と信じたい。

 

「滅亡」という結末を望まないならば、ときには迂回や後退があっても、「成熟社会」への道を歩むほかないと思うから。

大統領になりたいときは移民がこれ以上増えないようにメキシコとの境に膨大な壁を築くと言ったり(こんどは、ホンジュラスからの大勢の「移民キャラバン」を阻止するために軍隊を出すという)、また大統領になりたいがために(そのため選挙での支持を軍需産業、富裕層から集めるだけのために)アメリカは中距離核戦略全廃条約から離脱する」(単にアメリカだけの問題ではないのに)といったり、アメリカ大使館をエルサレムに移転したり…

突如の「思いつき」のような政策は、人類全部を巻きこむような通り魔的な(「国家」という仮面をつけたトランプ個人の)犯罪。彼の自己顕示欲(自惚れ)に満ちた「ものいい」。

公的にだけでなく、私的にも人種・女性差別(いじめ)をする。

私はトランプに現代の犯罪は凝縮されていると確信する。

(トランプをマネる「自国第一主義」の大統領が増えている。直接、手で血を染めないだけで、彼らは立派な(人類対する)「犯罪者」)

 

 

               ちりとてちん

 

 

 

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