カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.11.17 『Aではない君と』

                                                  カメキチの目

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だいぶん前に録っていたドラマが考えさせることが深く、神経を使いすぎたからか少々つかれた。

しかし、見のがさないでほんとうによかった。

 

『Aではない君と』

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原作は小説

(もちろん原作に直接せっするのがいいのですが、それが苦手な者にはテレビドラマになるのはありがたいです)

 

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「A」とあったので、「ああ、アレか…」と思った。

作者は神戸のあの事件に深くふかく向きあい、罪を犯した人間がそれを悔い、「更生」するとはどういうことなのかを、この小説では「いじめ」問題を扱うなかで迫ろうとしていた。

罪を悔い、人生をやり直す。そのことを少年期においてするというのはどういうことなのか。

「更生」はほんとうに可能なのだろうか。可能だとしたら、その条件は何なのか。

 

・ここでも14歳の少年が殺人を犯す。少年はすぐに捕まった。

 

物語のあらすじは、加害少年の父(主人公)が、ドラマの初めのほうの「自分の子どもが殺人を犯すはずはない」という、わが子を擁護する姿から始まり、息子が警察の取り調べにすなおに応じて罪を認めたことから、

「なぜ、息子は罪を犯したのか?」と真相追及へと移り、そのなかで息子への関わり・育て方の拙さを深く反省し、変わってゆく物語。

 

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真相追及で明らかにされたことは…

        ↓ 

息子は友だちに心をズタズタに切りさかれる「いじめ」を受け、友だちを殺してしまった。

主人公は息子との面会で、初めて「心が死ぬ」ほどのいじめを受けていたことを知り、その事実と気づいてやれなかった自分に愕然とする。

どれほどつらかったことか…と彼の気もちをわかろうとするが、殺人を犯すほど傷ついた(「死んだ」)息子の心は開かない。

 

しかし、「心が死ぬ」ほど辛くても、自分の心を殺した相手が憎くても、どんな理由であろうとも(法治国家である日本では)殺人は許されない。

 

被害少年の父親もとても息子を愛していたので、息子が酷いいじめをしていたことは悪いけれど、彼を殺した少年を許せない気もちでいっぱいだ。

(死んだ息子は、死んでいるのでもう「更生」することさえかなわないのだ。主人公が被害者少年の仏前に焼香に訪れたとき、父親は激昂して叫ぶように言う。「息子さんがほんとうに『更生』したら、線香をあげにきてほしい」と)

 

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キーワードは題名の「Aではない…」にあるのだろう。

  

息子をAとさせないために、父(主人公)は殺人を犯した息子といっしょに自分も生涯ゆるされることのない「罪」を背負って生きようとする。

彼の唯一の「親」だから。

(もうひとりの親、母も出てきますが、ドラマでの主人公は父親なのでした)。

  

【オマケ】

物語のすじ、流れはそれほど複雑ではありませんでした。

複雑ではないのですが、

①主人公は妻と離婚し、息子は妻が引きとり、その母は働いて忙しくしていること、②息子はちょっと寂しい思いもあり、ペットを飼い、とてもかわいがっていたことなどは、いってしまえばありふれた問題です。

でも、③かわいがっていたペットを殺してしまわされるほどの、「心が死ぬ」ほどのいじめを友だちから受けたこと、④「心が死」んでいたので、友だち(人間)を殺すこととペット(動物)を殺すことの見境はつかなくなっていたことなどは、深刻な問題。

そして⑤罪を悔いることはどういうことか、それが人間(少年)を「更生」させることにつながるのか?

 

複雑ではなくても、いえ複雑でないからこそ、深く考えさられました。

 

 

                ちりとてちん

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