カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.1.18 「家政」②

                                                  カメキチの目

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【引用】

アメリ人家族にとって、持家所有は“アメリカン・ドリーム”の基本的な構成要素である。それは高い住宅水準と資産形成を可能にし、同時に家族の成功と安定、そして独立を象徴する。…

こうした事態は戦後の日本においても共通している。それは、戦後の日本の市場の活性化がアメリのそれを模倣し、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを自らの夢としてきたことによっているといえるだろう。…

土地を整備し家をつけたセットで売るレヴィットの住宅は、日本でいういわゆる建て売りの住宅である。…

わたしたち日本人が想起する戦後「アメリカン・ホーム」のイメージがそうしたテレビ番組をとおして定着するわけだが、そのドラマの番組になったのがアメリの郊外住宅であった。

しかし、どのような家族関係、家庭生活が理想的なものであるのかは自分たちで考え出すことはできなかった。彼らは、住宅や家電やクルマを手にした過剰消費生活を実現しつつあった。…

彼らは、パッケージ化された郊外住宅を手軽に手に入れたように、家族関係や家庭生活のモデルもまた、自分たちの外部に求めることになった。そうした欲望に応えたのが、ホーム・ドラマだったといえるだろう。共同体や古い家族、そして消え去った近代のプロジェクトがつくろうとしていた新たな生活の理念に変わって、テレビが家事や家族関係のモデルを示すことになったのである。…

 

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 古い世代には何かしら心あたりがあることです。

(とくに「テレビが家事や家族関係のモデルを示すことになった」には深くうなずいた)

「批判」ということを知らない子どもにはテレビの影響は絶大です。

(私には強烈な思い出がある。子どものころにはアメリ製のホームドラマとならんで多くの「西部劇」が放送された。インディアン《いまは「ネイティブアメリカン」という》が悪者と描かれ、白人(カウボーイとか保安官、騎兵隊など)が正義とされる《もちろんそういう紋切型、パターンばかりでは物語としておもしろくないので、ときにはやさしい主人公《白人》が、ちょうど水戸黄門が庶民にやさしくするようにお情けをかける》。私は18のとき、『ソルジャー・ブルー』という映画をみて衝撃を受けた。その映画は初めてみたインディアン側《つまり先住民族、虐げられた立場》の視点から描かれた西部の物語だった)

 

 いちばん初めの家電はラジオ。次がテレビ。

 次の次は冷蔵庫。

 貧乏だった(とわかったのはずっと後のこと)が、世は「高度経済成長期」(そのことも後で知る)。田舎にも都会とはずいぶん遅れてからですが(そのうえ減ってはいても)恩恵がふってきました(これが元祖「トリクル・ダウン」?)。冷蔵庫も買えた。

 とても嬉しかった、冷蔵庫(製氷室つき)。

 テレビやラジオの電波は目に見えないので頭では理解できても、感覚的にはピンときません。だからテレビは不思議でしたが、水が凍れば氷になるとは冬の道(土)の凹みの水たまりが凍ったのを見ているから不思議ではありませんでした。

 暑い夏に氷が食べられること。テレビ以上に嬉しかった(子どもには食べものがいちばん)。 

 

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「持ち家に家電」。

 

 私は生まれ育った土地が山村で、周りにはサラリーマンはあまりいず、兼業農家(「兼」のほうは土方仕事が多かった)がほとんどだったのですが、多くが持ち家でした(庭のあるような広い屋敷の家は昔、庄屋だったような「名家」。農業する土地ほどなかったわが家でも、小さく惨めな造りでも持ち家だった)。

 アメリ発のホームドラマをみて関心は、「家」そのものよりも、シャレた家具、みたこともないデザインも洗練された家電製品、そして、ホームドラマの舞台は郊外なので生活必需品ともいえる自動車でした。

 子どものときは何もわからなかったけれど、まさに「戦後の日本の市場の活性化がアメリカのそれを模倣し、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを自らの夢としてきた」のでした。

 

 アメリには原爆を落とされ、いまもって日本の政権はアメリカ「忖度」からぬけ出られないような外交相手、なにもかも格別な存在なのでした。

 

 

                              ちりとてちん

 

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