カメキチの目
働いていたときは、朝、テレビをみる余裕は
なかった。時間がなかった(少しでもあれば寝たかった)。
いつごろからかビデオ録画ができ、便利になったが
朝ドラをみたいと思ったことはない。
しかし、入院していたときヒマつぶしにたまたま
みた『いもたこなんきん』が気に入り、退院してから
自由な時間がたくさんできたのでみるようになった。
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『なつぞら』がもうすぐ終わる。
(みておられない方、すみません)
そう思って空を見あげると、もう夏空も終わり
秋の空だ。
朝ドラは朝ごはんのとき、みながら食べる(テレビを
みながら何かするのは「行儀わるい」と子どもがいるころは言ったけど)。
『なつぞら』のよさは、ともかく安心してみられる
(食べられる)ことだ。
クセのある(別な言い方をすれば「個性が強い」)人はもちろん
出てくるし、登場人物は誰も心根がやさしく主人公に
温かい。ときには ハラハラドキドキの場面もあるけど
すべてがうまくおさまる。
(物語は小話の連続なのだけど、どのエピソードもハッピーエンド、寅さん、
黄門的に終わるのです。
もちろん、これは一日の始まり、朝のお茶の間用の「ドラマ」であり、深刻な話に
するわけにはいかないのでしょう)
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『なつぞら』の登場人物はみんなステキな人たちだ。
この物語では、なっちゃんが主人公だけど、他の
登場人物たちを主人公にすれば、その人だけの物語が
編めるなあと、ふと思った。
前の記事に書いたひろさちやさんは、私たちは
役者さんではないので他人を演じて生きるわけには
いかないけれど、人生を「舞台」にたとえるなら、
「自分の人生」という舞台では誰もが主人公(その他A、B
ではありません)なのだと述べておられた。
主人公である自分に常にスポットライトが当たり、
照らされている。
悪いこと、恥ずかしいことはできない。
(「照明係」は神さま仏さまかもしれません)