カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.1 「分人」という人の見かた

老いれば自分が何者か、どれほどの者かがだいたい見えてくる。

意外な自分を「発見」して驚いた、という若いころのような胸の高鳴り、

ちっともない。

 

意外な自分を感じることは滅多に(というよりほとんど)ない

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いつだったか平野啓一郎さんという作家の「分人」という人間の見かたを聞いて

興味を感じ、

『「生命力」の行方―変わりゆく世界と分人主義』 

                

というを読んだ。

が、私には難解だった。わかりにくかった(で、おすすめしません)

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ちなみに「分人」について、本にはこうあった。

【引用】

「人には色々な顔がある」と慣用句的によく言われるように、個々人の中の分人の存在には

誰もが気づいていた。

しかし逆説的だが、「人には色々な分人がある」にも拘わらず、実際は「たった一つの顔しかない」。

どんなに多様な人格があっても、たった一つしかない顔のせいで、結局はすべて一人の人間へと

統合されてしまう

 

要するに「分人」とは個人の持つ「色々な顔」のことらしい。

色々あっても(結果として)表面に現われている一つの顔しか他人には見えない。

だから実際は、人は色々な顔「分人」(「個性」に近い?)を抱えていても、

一人の人間」。

どんなに多様な人格があっても、たった一つしかない顔のせいで、

結局はすべて一人の人間へと統合されてしまう」。

他人に映る自分という人間は、結局「一人の人間」なのだ。

 

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読書は、初めにイヤになったら時間がもったいないので読むのをやめる。

この本は当たり(その本との出あい)が悪かったと思ったが、やっぱり「分人」が

気になり、よくわからんなりに読みとおした。

 

(その中の一つの話、「森鴎外の描く人生」が強く印象に残ったので、これのみ書きます)

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森鴎外の描く人生

【引用】

自己責任論を考えていくと、最終的に個人は内面で悩む必要に迫られるのですが、

鴎外はどこまでいっても不可抗力の問題を考えます

制度だとか、因習だとか、無意識だとか、彼は歴史の自然、ということを言いますが、

ある人間の人生を眺めたときに、彼は当人には為す術もない問題のほうが気になる人です

 

(注:「」、太字はこちらでしました)

 

夏目漱石とならべられるほど有名なのに、私は森鴎外の小説を読んだことはない。

ないくせに「制度だとか、因習だとか、…」に翻弄される人々を描いていることは

どこか(たぶん教科書)で聞いて知っていた。

近代個人の「自立」をめぐっての悩む知識人、高等遊民」の内面を描く漱石

対して、古くさい社会の制度だとか、因習だとか、…

当人には為す術もない問題のほうが気になる鷗外。

(そんな鴎外に著者は好感をもっている

 

著者の鴎外の見かたが「分人」とどうつながるのか?私にはわからなかったが、

自分なりに推測すれば、個人のうちにはいろいろな自分(「分人」)が潜んでいる

のだから、あくまでも自分にこだわり古くて不合理な制度だとか、因習だとか

社会の現実を打破しようとすれば、当人には為す術もない」「不可抗力の問題

縛られまいとする「分人」をあらわにすることだといっていると思えた。

(その「分人」こそが他人に映る自分、統合された一人の人間としての自分)

しかし、すごく勇気のいることだ。

 

ういう勇気のある人々が社会を変えてきたんだなぁとあらためて思った。

(と同時に、当人には為す術もない」「不可抗力の問題」とは思っても、都合の悪いことは

社会のせいにする自分を恥じる)

     

 

                        

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                             ちりとてちん

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