♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
前回、「この歳にならんと…」ということを書いたが、「この歳」からの連想で
Uさんが最近、『若者よ、マルクスを読もう』という本を出されたことを思い出した。
Uさんというのは中年の大学(哲学)の教授で、著作やインターネットで社会の風潮、人々の考え・思いについて、きわめて自由に発言されている。「中年」とはいっても、60代以上の老人にも通じるものをお持ちの人で、若者に「マルクス」をすすめるとは、なんてイキな学者さんだろう。
Uさんは『若者よ、マルクスを読もう』の出版理由・経緯を、ある別な本(私はこっちのほうを読んだ)で述べていて、すごく同感した。
『若者よ、マルクスを読もう』の要旨(少し、カメキチの色がつきますがお許しください)は以下の通り。
- 「マルクス、なにそれ?」となりそうだが、似たような名のミュージシャンか何かいそうで、若い人でも人名であることくらいわかるだろう。ちょっと勉強すれ ば、盟友のエンゲルスといっしょに、社会から貧乏・金持ちの格差をなくし、人類みな兄弟・平等を実現しようと「マルクス主義」と呼ばれる社会革命の思想を編み出したこともわかる。そしてそれは1917年、当時のロシアにおいて革命家レーニンによって「ソヴィエト連邦」の樹立という形でかなえられた(が、100年も経たないうち、「ソヴィエト連邦」なんて地図から消えた)。「ソヴィエト連邦」の表と裏はかなりひどく、マルクスやエンゲルスの理想とはかけ離れていた(とっくに二人とも死んでいないので見ることなく、よかったね)。「ソヴィエト連邦」のような国家でいまも消えていないのは中国、かろうじて将軍サマの国がある。そこはマルクスが倒そうとした日本のような資本主義よりもっとひどい差別と不自由な社会らしい(マルクスの心が体現されているとはとうてい思えない)。
- だから、いまでこそ「マルクス」の注目度は低いけれど、かっては違った。世界でも日本でも、私のようないっかいの若者の多くがマルクス主義にかぶれ(はまった。ひかれた)、革命を夢みた。弱肉強食のない・だれもが平等な人類社会・理想社会をきずくのだから。
- 日本は「高度経済成長」と呼ばれる時期、つまり1970年代以前は貧しかったた。物は(現代と比べて)少なかった。乏しかった。 戦後、徴兵制はなくなり、赤紙一枚で国がする戦争にかり出されることはなくなったが、それまでは狂喜が日本もおおっていた。従軍した若者は虫けらのごとく殺され、限りない数の普通の人々(民間人)がむごい死に方をした。戦争の当事国ではなくても世界で戦争はやまず、関係国にはよくなった。ベトナム戦争ではアメリカの爆撃機の発進基地となった。 そのほか社会の不合理・矛盾は(現代と比べて)多かった。
- 何かのきっかけでマルクス主義を知ってしまった者は、上述のような社会の現実を前にして、迷った。さて、自分はどうするか? (私は知らなかったが)いまは立派な保守主義者・実業家・経営者…でも、かってはマルクス主義者だった人がウヨウヨいるらしい。
- 【結論】 - つまり、かっては、マルクスを学ぶことは青春の「通過儀礼」のようなものだった。それは折りめ正しいきちんとした人になるために、人間として成長するために、学ばなくてはならぬだいじな勉強であった(学んだからといいって日本共産党へ入る必要は全然ないし、革命家にならなくてヨロシー)。それがいまのように、若者がマルクスと疎遠になったのは、いちおう1970年代ころから日本社会がそれなりに落ち着いてきたからだと思われる。
私は『資本論』は重すぎて読もうとしたことさえないグータラ。しかし何冊かは読んだ。
あれから40年余。きちんとした大人になっているとは思わないが、あのころ必死で、『空想から科学へ…』『共産党宣言』…などをかじって、ほんとうによかった。
これはギンモクセイです。さきのキンモクセイの兄弟分。ちょっと遅れて咲き、キンモクセイより深みのあるというか、コク(といえば飲み物みたいですが)があるというか…ともかく、すごくいい匂いです。
金銀ときたので、単純な私はアレもあるかと思った。