♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
(①としたのは、言い足りないとわかっており、②も書こうと思っているからです)
もう1、2時間長くみれば「テレビ人間」と呼ばれるくらい恩恵をこうむっている私がテレビに文句を言うのもナンだが、やはり国民への影響力を思えば…。
私は怒りまくっている。「クソガキ(テレビのことです)、ヒト(視聴者のことです)をナメルなよ」(下品になりゴメン)と強く強く意識していない限り、その無意識に忍びよるワナにはまる。オッソロシイ…
「気をつけよう 甘いテレビと 夜の道」
「おたくにそんなナンクセをつけられるおぼえはないのですが…」とテレビ局さまにお叱りを受けそうだが、「おぼえ」の問題じゃないのだ。
私の怒りの矛先は、正確には「テレビ」とはいっても「テレビそのもの」ではなく、「テレビ局」のことである。
テレビ番組を作る側は(スタッフ)は、自分たちの仕事というものの特質を真剣に考えてほしいということである。もっとそのことを自覚してほしいということだ。
年末が近づき、恒例の1年振りかえりニュースがそろそろ始まった。先日、ある局は「東京オリンピックが決まり、(バカの一つ覚えのように)日本中がわきました…」とやった。まったく、言葉づかいに配慮がたらない。国民いちがんで東京オリンピックを歓迎しているような…
何の工夫・配慮もない報道(私だって足りない頭をフルにしぼりこれ《文章》を書いている。むこうはプロなのだ。事実をセンセーショナルに報じ、煽り立てるだけなら《精読したことはないが》スポーツ新聞の二番煎じと同じじゃないか)。
反射的に、決定の日。故郷を喪失した福島の主婦が「(東京オリンピックが)遠い国のことのようです…」と、かぼそい声でコメントしていたニュース報道していたとこもあったのを思い出した。
たとえ小さな声でも、少数でも、いやそうだからこそきちんとていねいに伝えてほしい。
(そう思うと、このインターネットの力ってやっぱりスゴイ。小さく・少ない声でも大きく変わる。「アラブの春」は人々のフェースブックとかへの書き込みから始まったらしい)
先に紹介した「パトカー電車」。ドアには横断歩道の標識。
ごていねいに、床にはラインまで引いてあります。
こういうアイデアがわくのはプロ意識のせいだと思う。テレビ
局も見習ってほしいもんです。