カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.2.23 ソチオリンピック)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

 ソチ・オリンピックはすばらしかった。

 (正確には深夜に閉会式なのでまだ終わっていません)

 テレビニュースで、ちょうど若田さんが船長で乗り込んでいる宇宙船ソユーズからソチあたりが光っている映像が流れてきたのをみた。悲しいニュースが続く地球のなかでソチがいちばん輝いていた。大げさでなく、オリンピックに人類の希望を見た。

「地球人」(それは「宇宙人」でもあることですが)としての連帯感のようなものを感じた。

 

 私にとっての「オリンピックのすばらしさ」のいちばんは、違う国の選手どうしが競技のあとにお互いの健闘をたたえ合い、抱き合ったり肩をたたき合うところだった。サイコー。涙が出そうになった(出た)。

 一方で、国の威信をやらを背負わされた選手がワアワア(かってに)持ち上げられ、重圧に押しつぶされた。こっちはサイテー。同情の涙が禁じえなかった。

 二番は、スポーツそのもの。

 マオちゃんはすごかった。あのドラマも「レジェンド(伝説)」となり、葛西選手のそれとともに語り継がれていくにちがいない。彼女の6位は金銀銅を超えた。(持っていないが)ダイヤモンドをあげたいと思った(私は10代でスイスイとリンクをすべり、バカなメディアが競って「まおまお」と持ち上げていたころは真央ちゃんまで好きになれなかったが、いまは完全にちがう)。

 

 オリンピックといえば「勝つことより、参加することに意義がある」。だからこそ、人類は一つになれる。それは真実だと思う。

 だが、勝ち負け、順位にこだわるのも真実かもしれない。一人ひとりの選手にとっては勝利は到達目標。どうでもよいことではない(競技ごとの「世界選手権」というのもあるくらい)。少しでも好成績を上げようと努力する。その必死の姿が感動を、ドラマを生む。

 

 オリンピックのさいちゅう、ソチの近くでは大規模なデモ民衆と取り締まりの官憲の間で衝突があり、大勢の人が死んだ。テレビにムチで人を打つ警官の姿があった。時代錯誤の残虐な用具をみて私はこおった。

 日本はさきの戦争でずいぶんひどいことをおこなったが、古今東西、人間は変わらないらしい。私もムチを手にするかと、自問した。

 

  あらゆる衝突・戦争を、スポーツがのり越えてくれればいい。

 スポーツは人間を救う。

 

 

                                ちりとてちん

<