♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
私の恐竜への愛は本物だ(それを「愛」というのかどうかは別にして)。それで、こうしてまた書くことにした。
フィギュアの飾りだけでは満足できず、あれから『おとなのための恐竜学』という本を図書館で借りた。もっと詳しく知りたくなり、本屋さんにも行った。が、適当なのがなかった。
いまから恐竜博士になるつもりはないし、大のオジイがまだ小さなマゴを相手に即興
の知識をひけらかす気もないので(それでも、いつの日か機会がおとずれば、彼らにも恐竜をとおして学んだことを伝えたい。聞いてくれたらの話ではあるが)、こっちもそこそこのものを探すつもり。
で、借りた本だがコンパクトなもので、QアンドAでわかりやすかった。そこにも書かれてあったが、相手は地球なのであまりに規模が大きく(ときには宇宙も出てくる))長い時間をともなっている。まさしく「怪物」。
現在わかっていることはあくまで仮説だ。正確なことはいつになれば明かされるかまるでわからない。
でも、(恐竜ファンとしては)逆も真なり。自分が生きているあいだにわかることはちっぽけかもしれないが、そのことがあまりに「ちっぽけ」な自分、人間という存在をすなおに感じさせてくれる。
ところで「愛」。それは滅び去ったものへの単なる郷愁ではない。
今、Wさんという、ついさいきん知ったある大学の歴史家の本を読んでいる。ひじょうに読みごたえがあった。
この方は、人間は自分というもの(自分につながる家族とか親しい友人をふくめて)については愛しく感じればいいけれど、人類というものはたいした存在じゃないと思うのもたいせつだとおっしゃっていた。
われわれはよく「人類は、生命の頂点。この厳かなる存在」みたいに言うけれど、あやしい言いぐさだと思わなければならない。ほんとうに人間が生き物のトップなんだろうか?
こんなこと書いていている私は、この身体がわがものであってわがものでないような不思議な気がしてきたぞ。ひょっとして、恐竜の魂がとりついているのかもしれない。
なんせ頭がクラクラしてきた(もっとも「クラクラ」は私の特許。平衡障害の典型的な症状)。