♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
「ちょっと大げさ」といわれそうだが、①のグチは、なさけないが、実感です。
ただ考えてみれば簡単にわかるが、私がいくら障害の不快さを訴えても、しょせん自分の身体の範囲・エリア内のこと。その体感が他人に伝わるわけがない。
それに伝わったところで、「いくらのもん?」なのだ。
ひとりの人間が生きるということは、具体的なこまごまとした事実・できごとの積み重ねである。ジンセー、生きるの「面倒くさい」。
だから、だれの人生も「たいへん」なのである。いろいろある。
「これでいいのダ!」という『天才バカボン』のパパの一言が、心にひびくようになるまでに、私は40年かかった。
ある晩のテレビ『クローズアップ現代』で。
親の介護をするため、学校に行けなくなったり、決まった就職を辞退したり、将来の夢をたち切らざるをえない若者たちが映っていた。彼らの姿に釘づけされた
まだ60前に認知症になった母にかいがいしくスプーンを運ぶ娘さん。いまはともかく「自分がこうするのがいちばんです」。
そのうち絶対、いいことあるよ。
こういうのをみると、自分を相対化せざるをえなくなってくる。つまり、私のせおっている問題というものが小さくなってゆくのである。
あげくノープロブレム。つまり、こんなの問題ではないわな!となってきた。
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