カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.10.19 世界は美しい①)

  

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

            

 

 

 キザな題名ですみません。恥ずかしい…と思っています。

 がこの際、そういう自分の感情はどうでもいい。

 「世界は美しい」、と感じるときはすなおにそういう思いに従おう。

 

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 ところで、「世界」とはなにもとくべつなことをさしてはいない。そんじょそこらのモノでありコトだ。

 たとえばテレビから聞こえてくる声や映像にハッとする。

 たとえば近所をブラブラしていてアレッという発見がある。

 

 美しいのは、なにも紅葉のような自然界だけではない。

 “美”。と表現すると格別な響きがし、それはなにか高尚な、近寄りがたい存在のような気がするが、まったくのナンセンスだ。

 じつは、きょねんだったかおととしだったか忘れたけど、こんなことがあった。

 それまで、名作と評されている芸術のよさがよくわからず、「どこが?。なんで?」と思っていた。「こっちの目がよほど腐っているのか」と自分を疑っていた。

 が、古い時代の有名絵画とか名も知らぬ人の現代彫刻などのいくつかが、とつじょとして「すばらしい」と思えてきたのだ。

 どうしてか?

 そのころなにかのテレビか本かで、芸術というのは作家の個性の表れだから、教科書で書かれていたようなみかたに、みる・鑑賞する側の本人・あなたが合わす必要はありません、とあった。つまり、その作品にピピッとくるものがなかったらなかったでしかたがなかったこと、縁がなかっただけとあきらめる必要を説いていた。

 

 なるほどザ・ワールド!

 それから、肩の力をぬき、好きな寺社・仏閣も、そのなかの庭園も、ふすま絵も、もっと気楽に味わえるようになった。 

 

                               ちりとてちん

 

 

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