カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.12.28 一年をふり返り③)

    おたずねくださり、ありがとうございます 

  

   

                

 

 

 

 きょうは「哲学」。

 

  突然の事故にあえば、「なんで私が?」とだれでも自問する。

 身のまわりに早死にした家族がいれば、「なんでずっと若い彼女が…」と。

「哲学」というと、大学で習うなんか高尚なものだと思い、とっつきにくい感じがするが、「そもそも」と原点的な発想で身のまわりや社会を問うてみることだ。

 原点から問うてみれば、不思議なことが起きることがある。まるで手品・マジックジョーをみているように。

 右と思っていたものが左にあったり、上とばかり思っていてそっちばかり探していたものが下から出てきたりする。

「哲学」していたら、そういうことが起きる。

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(あらためて考えるとマジシャンは、観客の気づかぬところで、そうされているということを意識させることなく、彼らをコントロールするのだからすごい。右に左に自由にふるまい、笑わせ、楽しませながら。チャップリンもそのひとり)。

  

 私の読んだものは、ほとんど現代日本で生きるということを具体的に考えさせてくれるものであった(ソクラテスやカントはたまに出るだけ)。

 著名な哲学の先生(大学)とか歴史家、宗教者が一般人向けに平易に述べ、わかりやすかった。

 私はそれらを本の上だけのことじゃなく、なるべくわが身にひきよせて考えてみた。この人たちの説を、なるべく具体的に、肌身で感じようとした。

 いまの日本で、障害をもって生きるというはどういうことか?と考えた。

 そうやってみて気づいたことを、『カメキチの目』(前身のホームページから)に書いていたら、「いくら感激しても他人の言葉をそのまま紹介しては…」と横ヤリをいれられた。その横ヤリというのはけっしてイジワルじゃなく、夫を思ってのこととじゅうぶんわかってはいたが(私としては、自分の言葉に翻訳しているつもりだったけど、それは自分の思い込みだった)。

 いまでは著者の言葉を理解し、自分なりに言い換えているつもり(しかし、ホンマにわかっているのだろうか?と疑えばキリがない。疑うこと自体が「哲学」になったりして…。ややこしい)。

 

 結果。

 たとえば、“障害者”であろうが関係ない、ということであり、“人間”がほかの生き物より特別エラいわけでない、ということであり、“私”とはとるに足らないけれど唯一かけがえのない存在である、ということに気づかされた。

 晴れやかな気分になった。

 でも。しばしば、

“気づき”はいいのだが、マジックショーをみに来ているわけではないので、ひょっとして、これは自己催眠ではないのか?とヘンに勘ぐることがある。

 なさけねっ!

 

                              ちりとてちん

 

14 メリークリスマス

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 こんなマヌケを、おゆるしくだされ!いまころのクリスマス。

売れ残りのケーキ・気の抜けたサイダーみたいです。

せっかくの力作ですが…

 

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