カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.6.3 お照らし)

 

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   おたずねくださり、ありがとうございます 

  

   

 

 

 少し前の『折々の言葉』(朝日新聞連載シリーズ)に載っていた言葉。

「今年はようお照らしがありまして」

 

 北陸地方のある僧侶が近所の門徒のおばあさんから大きく育った白菜をもらった。そのときの、おばあさんの言葉

 

 -すばらしい!-

『折々の言葉』の鷲田さんのコメントのとおり、おばあさんの謙虚さにまいった。自分が汗水たらして育てたせいで大きく実ったと、お坊さんにちっとも自慢しない。

 人は他人になにか親切をしたとき、下心を持つものだが、おばあさんはちがう(私はもちん、「自分が…自分が…」と多くの人は自慢したくなる)。

 それにおばあさんは、ただただ「ありがたや」とお日さま、自然へ感謝する

 その心に、頭が下がる。

 

 ふだんから、そんな言葉をサッと口ずさめるような生き方をされているのだろう。

 それで思い出した。数年前のテレビニュース。

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 同じく北陸地方のあるところに、空から魚が降ってきた。

 画面に映ったおばさんが、だいじそうに一匹ずつ新聞紙に包んでから冷蔵庫に入れていた。それから彼女は仏さんを拝むように冷蔵庫に向かって一礼。合掌。

 おばさんは、テレビ局の記者にきかれて答えていた。「なんで魚が降ってきたのかわからんけど、ありがたいことやのぉ…」

 なんでもかんでも、科学で解明できるもんじゃないことを、おばさんは長い人生経験で知っておられるようだ。

 このときも、すごいなーと私は感激した。

 

 親鸞聖人ともゆかりの深い北陸の地の話である。信仰深い方が多いからだろうか。

 

                   ちりとてちん

 

56 車(ハッチバック

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セダンだけじゃありませんよ。

折りながら、「紙を折る」フシギに驚いています。

ヘェー…!

 

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