♪ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
〈言葉や記述がヘタクソなので、わかりにくいかもしれません。「あいまい」な理解でけっこうですからお読みくださいね〉
「そもそも…」と、原点・根本に立ち返って自らに問うて みることは大事だと思う。
何かに悩んでいるとき、「はたして、これは悩むべき価値があるだろうか?」と問うてみる。と、
つまらんことにこだわっていたな、いらんことにエネルギーを使っていたな、と気づくことがある。
ともかく、いっけんバカらしく、ムダにみえても、
「そうだったのか!」と答えが出なくても、
よく生きるために必要な、だいじなことではなかろうか。
(問うたことじたい忘れたころ、ヒョッコリ、ヒントのようなものが出てくるかもしれませんね)
「なぜ私は『私』なのか?」
「なぜ『ここ』に『いま』いる(存在している)のか?」
■ この前の本(『「あいまい」の知』)には、あるモノが何であれ、それをそれだけで(独立して)、周囲のさまざまなものから切り離して考えてはならないと、一人の学者さんの意見・主張でなく、分野の異なる専門家みなさんそろって述べられている。
(仏教の“縁”の考えと同じだと思います)
たとえば、いまこうしてブログを書いている自分をあらためて観る。
パソコンに向かっている私がまわりすべてと一体となり、「一枚の絵」として見えてくる。まさに、“ジグソーパズル”。
その背景に私も構成要素として溶けこんでいる。何が「主」だとか「客」とかはない。
私という存在も風景の一点でしかない。
続けて、突っこんで考えてみる。
すると自分という人間は、たまたまどこそこに生まれ、どこそこに生き、いま、こうしてここにいる歴史的な存在・一つの存在であることに気づく。
その後、あらためて「一枚の絵」の全体をみた。
すると、
絵が生き生きと動き出した。
もちろん、生き生きと動き出したのは私一人だけのことじゃない。すべてはつながっている。
私がほほ笑めば、あなたはほほ笑み返す。あなたが涙を流すと、私は平静ではいられない。
58 新幹線
これは3輌なので、同じ色の折り紙3枚です。
(だから16両編成なら16枚)
こんな細工したら“折り紙”でなくなりますが、車輪をつけ加えたいですね。