カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.7.17 放射能)

 

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   おたずねくださり、ありがとうございます 

  

   

 

 

『朽ちていった命』という本を読んだ。予想していたとおりガツン!私の脳天をぶち抜いた。

 

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 その日本初の臨界事故は1999年9月30日、茨木県の東海村にある「原子力燃料加工施設JCO(ジェーシーオー)東海事業所」で起きた。

 いまから16年前。

 私はそういう事故があったとだけ覚えていた程度。

(それくらいの認識・自覚しかなかったわけだ)

 だから、事故のなまなましさは知らなかった。

 

 81日間の壮絶な闘いで、まだ30代初めで働きざかり、たくましい体つきの大内さんは死んだ(JCOに殺された)。

 その事実はドキュメンタリーとしてテレビ放映(『NHKスペシャル』)され、大きな反響をよんだとのこと。

 本は、その番組を担当した記者さんが、ひとりでも多くの国民に事故の姿を知ってほしいと、あとから出版された。

(はじめは岩波書店でしたが、いまは新潮文庫にもなり手軽に読めます)

 

東海村」という言葉は、私には遠い記憶があった。

東海村」は日本初の原子力施設があるところである。私の世代にとっては、原子力というのはまさに夢のエネルギーであった。東海村はその象徴であった。

 少くとも、教科書を通じて子どもたちはそう信じさせられたのである。

(子どもだけの問題じゃない。「教育」の恐ろしさを改めて強く感じた。というのは、いま書いていて思ったが、先の戦争で負けイクサに終わるんではないかと感じても、最後は「神風」が吹くと信じ《させられ》、竹やりでアメリカ兵を突き殺すというバカげた《いや、失礼!》訓練をしていた一般民衆と同じではないか)。

 恥ずかしい話だけど、私は東海村」が教科書に記載されて以後、どうなったかは知らなかった。

 これも恥ずかしい話だけど、エネルギーの源・供給源なんか考えたこともなかった。まったく気にもしないで電気を使いほうだい使っていた。

 

(本のあとがきにあるように)その後、大事件・大事故・大災害が続いたせいもあり、この原子力臨界事故を多くの国民が忘れた。

 本は最初から最後まで、亡くなったのは二人(もうひとりの方は同僚の篠原さん)だが、この「歴史的事故」を風化させてはならないとの記者さんの魂があふれていた。

 ただただ圧倒されるよりほかなかった。

 とともに、

 著者の言われるとおり、“原子力”というものは広島・長崎で人類はじめて「大量殺人」目的で使用されて以来、70年たった現在でも、コントロールできていない事実の重みをズシリ、私も感じた。

 

 目に見えない中性子線とやらで染色体を壊され、壮絶な死をとげた大内さんと篠原さん。f:id:kame710:20150704143312g:plain

 

 

 いちどは自業自得の事故で死にかけた私だが、そういう死に方は断じてしたくない! 

                    

 

                  ちりとてちん

 

69 …?

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みそ汁とか入れる「椀」です。

もうちょっと低いとよかったですね(ゴメンなさい)。

折っているときは夢中で、「自分は『お椀』を折っているんだ」という思いが、

現実のこんな形(高い)になっていることに気づかせない。

(もっとも、自分の障害がそうさせているのかな?という気もします)

 

 

 

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