♪ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
『朽ちていった命』という本を読んだ。予想していたとおりガツン!私の脳天をぶち抜いた。
その日本初の臨界事故は1999年9月30日、茨木県の東海村にある「原子力燃料加工施設JCO(ジェーシーオー)東海事業所」で起きた。
いまから16年前。
私はそういう事故があったとだけ覚えていた程度。
(それくらいの認識・自覚しかなかったわけだ)
だから、事故のなまなましさは知らなかった。
81日間の壮絶な闘いで、まだ30代初めで働きざかり、たくましい体つきの大内さんは死んだ(JCOに殺された)。
その事実はドキュメンタリーとしてテレビ放映(『NHKスペシャル』)され、大きな反響をよんだとのこと。
本は、その番組を担当した記者さんが、ひとりでも多くの国民に事故の姿を知ってほしいと、あとから出版された。
(はじめは岩波書店でしたが、いまは新潮文庫にもなり手軽に読めます)
「東海村」という言葉は、私には遠い記憶があった。
「東海村」は日本初の原子力施設があるところである。私の世代にとっては、原子力というのはまさに夢のエネルギーであった。東海村はその象徴であった。
少くとも、教科書を通じて子どもたちはそう信じさせられたのである。
(子どもだけの問題じゃない。「教育」の恐ろしさを改めて強く感じた。というのは、いま書いていて思ったが、先の戦争で負けイクサに終わるんではないかと感じても、最後は「神風」が吹くと信じ《させられ》、竹やりでアメリカ兵を突き殺すというバカげた《いや、失礼!》訓練をしていた一般民衆と同じではないか)。
恥ずかしい話だけど、私は「東海村」が教科書に記載されて以後、どうなったかは知らなかった。
これも恥ずかしい話だけど、エネルギーの源・供給源なんか考えたこともなかった。まったく気にもしないで電気を使いほうだい使っていた。
(本のあとがきにあるように)その後、大事件・大事故・大災害が続いたせいもあり、この原子力臨界事故を多くの国民が忘れた。
本は最初から最後まで、亡くなったのは二人(もうひとりの方は同僚の篠原さん)だが、この「歴史的事故」を風化させてはならないとの記者さんの魂があふれていた。
ただただ圧倒されるよりほかなかった。
とともに、
著者の言われるとおり、“原子力”というものは広島・長崎で人類はじめて「大量殺人」目的で使用されて以来、70年たった現在でも、コントロールできていない事実の重みをズシリ、私も感じた。
目に見えない中性子線とやらで染色体を壊され、壮絶な死をとげた大内さんと篠原さん。
いちどは自業自得の事故で死にかけた私だが、そういう死に方は断じてしたくない!
69 …?
みそ汁とか入れる「椀」です。
もうちょっと低いとよかったですね(ゴメンなさい)。
折っているときは夢中で、「自分は『お椀』を折っているんだ」という思いが、
現実のこんな形(高い)になっていることに気づかせない。
(もっとも、自分の障害がそうさせているのかな?という気もします)